2022年の3月5日に身長170センチの割に小柄に見え、美少年の役が似合っていた俳優の志垣太郎さんが亡くなっていたことが12月6日に公表されました。70歳でした。
志垣さんは何の遠征なのかは不明ですが、遠征先の佐賀県で急な体調不良による心不全で亡くなったのですが、長男がツイッターの更新を止めていたため知られておらず、12月6日の再開を訃報にしたことでようやくマスコミも報道したようです。
野僧にとっての志垣さんの出演作品は昭和45(1970)年10月から翌年の10月まで放送されたNHKの「男は度胸」(1年間だったので大河ドラマだと思っていた)の天一坊くんや昭和45(1970)年の大河ドラマ「樅の木は残った」の主人公・原田甲斐さんの盟友・茂庭周防さんの息子・主水さん、同じく昭和47(1972)年の「新平家物語」の牛若丸=源義経さん、同じく昭和52(1977)年の「花神」の久坂義助=玄瑞さん(本人の肖像画とかなりイメージが違った)が記憶に残っていますが、やはり鞍馬山の稚児時代の舞を踊る牛若丸が最もハマリ役だったように思います。天一坊くんは虚言を弄する嫌われ役ではなく周囲に利用された悲劇の主人公になっていました。
この他にも昭和61(1986)年にTBS系で放送された不可解な戦国時代ドラマ「おんな風林火山」では武田信玄公の嫡男でありながら自刃に追い込まれる武田義信さんでしたが、妹たちを気遣う心優しい兄で前年=1985年のNHKの大河ドラマ「武田信玄」の堤真一さんとは全くイメージが違いました。
しかし、志垣さんと言えば何と言っても昭和51(1976)年10月から昭和52(1977)年7月の東海テレビ制作だった花登筐ドラマの「あかんたれ」の主人公・秀松でしょう。「あかんたれ」は明治中期の大阪船場を舞台に老舗呉服店・成田屋の抜群の商才と高潔な人格を有して周囲の尊敬を集めていた先代・秀吉と幼馴染の許婚の絹の間に生まれた秀太郎がわがままで意気地なしに育ったため秀吉の没後、先々代の娘の正妻とその息子や娘がいる成田屋に丁稚奉公させるVSOP(ベリー・スペシャル・ワンパターン)な苦労物語です。成田屋では本名ではなく秀松と呼ばれ、家族や従業員たちから「てかけの子」として陰湿な苛めに耐えながら商才を磨き、正妻やその息子や娘たちの放漫経営によっても破綻寸前になっていた成田屋を立て直しましたが、周囲や取引先から店の継承を要望されても「主人の代理として店を預かっているだけ」と固辞し、やがて男性下着のステテコを発明して秀吉存命時以上に成田屋を繁盛させる花登ドラマの傑作です。
放送は月曜日から金曜日までの午後1時30分から2時までだったので中学生だった野僧は見られませんでしたが、冬休みと春休みには喰い入るように見て「あかんたれ あかんたれ 通りの角から三軒目 メリヤス工場の塀の影 いつも泣いてる あかんたれ 何で泣くかと聞いたなら 返事もせずに また泣いた あかんたれ あかんたれ」と言う鶴岡雅義と東京ロマンチカの主題歌を覚えてしまいました。すると同級生たちも教室で唄っていたので大半が見ていたようです(1人が唄うと周囲が「あかんたれ」をコーラスした)。随分、遅くなりましたが心より冥福を祈ります。
- 2022/12/14(水) 13:59:37|
- 追悼・告別・永訣文
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0