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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月17日・アメリカ陸軍の軍事史研究者・マーシャル准将の命日

1977年の明日12月17日はアメリカ陸軍の軍事史研究者として第1次世界大戦からベトナム戦争、第3次中東戦争までを実地に検証し、単なる歴史的資料の編纂ではなく戦闘の法則を導き出し、現在も採用されている改善=戦闘力強化方法を提案したサミュエル・ライマン・アトウッド・マーシャル准将の命日です。77歳でした。
マーシャル准将は1900年にニューヨーク州で生まれましたがコロラドとカリフォルニアで育ち、テキサス州エルパソで高校に入学しました。1914年に第1次世界大戦が始まっていた中、1917年に徴兵でテキサス州サンアントニオの第90師団第315工兵大隊に配属されましたが、この年の4月6日にアメリカのウィルソン政権が参戦を決定し、6月にフランス戦線に派遣されて軍曹なりました。1918年11月に停戦=終戦になると自衛隊で言う部内幹部候補生のような新制度で士官学校に入校することになり、1919年に任官するとフランスに戻ってアメリカ派遣軍の復員を支援しました。
1920年にアメリカに帰還すると予備役に編入されてテキサス大学エルパソ校に進学して卒業後はエルパソの地方紙からミシガン州デトロイトの主要紙の記者になり、スペイン内戦の取材に派遣されました。この記事で全国的な知名度を獲得すると1939年9月1日の第2次世界大戦の勃発も取材してナチス・ドイツ軍の電撃戦(開戦直後の徹底攻勢)と機動戦術を解説した著作を出版してアメリカ陸軍に注目されることになりました。
1941年12月8日の日本海軍の真珠湾空襲を利用してフランクリン・ルーズベルト政権が第2次世界大戦全体への参戦を決定するとアメリカ陸軍は1942年9月に歴史的に重要な資料の収集を目的に軍事史センターを設立し、マーシャル少佐以下27名の士官を配置しました。マーシャル少佐の初仕事は将兵400名と軽戦車3両、対戦車砲4門の日本軍守備隊をアメリカ軍が将兵6470名を戦艦4隻、巡洋艦4隻、護衛空母3隻、駆逐艦16隻で支援しながら763名が戦死した中部太平洋のギルバート諸島マキン環礁の戦闘の調査でした。戦闘終結後、マーシャル少佐は失敗の原因を突き止めるべく生還した将兵たちとの対談取材を行い「前線では(アメリカ軍の)兵士の75パーセントは幼い頃から教え込まれた殺人を重罪として自己犠牲を賛美する倫理感から身に危険が迫っても発砲して敵を殺さない」と言う意外な事実が判明しました。
その後は同様の手法で体験談と本人の感想を中心に調査を進めて「突発事態に対する指揮官の判断」などの多くの戦争の法則を導き出すことになりましたがこの問題が主要テーマになり、兵士に敵を殺害させるための訓練方法の研究に発展しました。
その成果とされているのが「射撃訓練の標的の黒い部分を頭部と肩を際立たせる形にすることで人間を射つことに慣れさせる」と言うもので「殺人の罪悪感に起因する戦場パニックも軽減する」と言う副次効果も加わって現在もアメリカ軍や警察で使用されています。
第2次世界大戦末期にはヨーロッパ戦線に派遣されて同様の調査を行い、さらに朝鮮戦争、ベトナム戦争、第3次中東戦争、中東内戦などで「戦場での兵士による殺人」の実態調査を継続しましたが、1974年に故郷のエルパソに戻って亡くなりました。
  1. 2022/12/16(金) 13:57:45|
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