森田予備3曹と春木予備3曹は身体検査を終えると男2人を近くの空き家にある歩哨の指揮所兼待機所に連行した。堀井予備2曹は動かせない車両と後部座席の遺骸の番として現場に残った。失禁して裾まで塗れたズボンで歩きにくそうな運転手は背後で銃を突きつけながら付いてくる森田予備3曹を罵り続けている。
「お前は車内の人間に警告も与えず発砲、射殺した殺人犯だ」2人は両手を後頭部で組ませられているので振り返ることはできないが、運転手は身体を揺するようにして叫んでいる。どうやら先ほど堀井予備2曹から聞いた根室地区で航空自衛隊の高射部隊が全滅したのと同じ破壊工作の指揮官らしい。確かにあの時、森田予備3曹は後部座席越しに肩と頭だけが見えた男の動作が運転手と話している堀井予備2曹に銃口を向けたと確信して発砲した。実際、後部座席の男の遺骸はPP19短機関銃の握把を握り、引き金に指を掛けていた。しかし、運転手は警察官職務執行法7条が定める武器使用時の「犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗を抑止するため必要と認める相当の理由」を確認していないことを指摘しているのだ。ここまで法律に詳しいところを見ると70歳前後の年齢とインテリ風の容姿から元教職員や元地方公務員が疑われる。
「それを言うなら我々に弾倉1本分も実弾を発射したアンタの方が殺人未遂だ。あれも俺たちがプロだからよけられたが素人がビビって顔を上げたら死んでいたぞ」「反撃して射殺しても正当防衛が成立したな」運転手の罵りが癇に障ったのか代わりに春木予備3曹が反論し、森田予備3曹が補足した。森田予備3曹は陸上自衛隊に入隊した時、父の森田敬作定年2佐から「戦争で殺すのは人間ではなく敵だ」と教えられてきたが実際に「敵」を殺したのは当然初めてだった。現場指揮官の堀井予備2曹も後席の「敵」の遺骸を見せることを躊躇ったが、森田予備3曹はあえて自分の行為の結果を確認した。すると敵も白髪混じりの初老の男で顔には薄笑いを浮かべていた。どうやら自衛官を殺すことに快感を覚えていたらしい。
アメリカ陸軍の軍事史研究者のサミュエル・ライマン・アトウッド・マーシャル准将は戦闘を終えた将兵との対談取材で「前線では75パーセントの兵士が幼い頃から植えつけられてきた殺人を大罪として自己犠牲を賛美する倫理で身の危険が迫っても引き金を引いて敵を殺せなかった」と言う驚くべき事実を発見した。一方、日本の戦後にデモやテロを繰り返した学生運動の過激派は警察官や自衛官を殺害することをロシア革命で鎮圧に当たる皇帝=ツアーの兵士を打倒した民衆に自分を重ねる快感を味わうため罪の意識は全くなく、むしろ「ツアーの兵士を殺すことが革命=正義だ」と信じ切っていた。その点、戦闘員としての英才教育を受けている森田予備3曹は理屈抜きの条件反射で引き金を引いた。
「世界自然遺産の知床を戦場にするな」根室以上に国後島に近い知床半島では自然保護団体が道路を封鎖し、自衛隊の車両の前に座り込んで人の盾を作っていた。北海道東部を所管する第5旅団の作戦計画では防衛出動待機命令が発令された時点で知床半島に81式短距離地対空ミサイルの第5高射特科大隊を配置して国後島を発進するヘリコプターを撃墜する予定だったが、インターネットで「ロシアが参戦する」と言う噂が流れると道東の環境団体が中標津町に集結し、続いて札幌から増援が到着し、今では東京から環境保護が目的ではないことが明らかな集団が押し寄せている。おまけに多くのマスコミ関係者が取り巻いているため治安出動している陸上自衛隊による強制排除は釜田防衛大臣に禁止された。
「貴方たちも昨日のロシアの攻撃を見たでしょう。危険ですから速やかに安全な場所に避難しなさい」「この美しい知床がミサイルで破壊されることは絶対に許さない」第5旅団としては戦闘行動として夜間に配置につく予定なのだが現状では活動家を説得して自主的に退去させるしかない。そのため師団司令部の広報担当者が丸腰で代表者の女性と面談した。
昨日、根室半島の各所で航空自衛隊の高射隊のPAC3が次々に爆発する巨大な炎と爆発音、凄まじい黒煙を目撃した夜に半島の先端付近にあるレーダー・サイトにミサイルが射ち込まれて爆発するのを目の当たりにしたはずの女性は全く怯えた様子は見せない。
「貴方たちは日本が侵略されても良いのですか」「大自然に抱(いだ)かれているから日本なのよ。知床の大自然が無残な焼け野原になっては最早日本じゃあないわ」1970年から80年代の反基地や反原発、環境保護などの座り込みは夜間には大乱交パーティーになったらしいが、この知的な熟女は年齢的に対象外だろう。広報担当者は代表者の背後で殺気を帯びた視線を浴びせてくる女性たちに戦時中の記録映像で見る愛国婦人会を思い出してしまった。しかし、愛国婦人会が守ったのは「銃後」、この女性たちが守っているのは大自然、実際は自衛隊の防衛行動の妨害が目的だ。最早強制排除する時間はないので轢き殺してでも突破するしかない。
- 2022/12/18(日) 12:47:39|
- 夜の連続小説9
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