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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ343

「自衛隊は北海道を守り切れるんですか」北海道知事は稚内と根室の航空自衛隊のレーダー・サイトへの攻撃の状況説明のため道庁を訪れた陸上自衛隊北部方面隊幕僚長に単刀直入に訊ねた。40歳代前半の若い北海道知事は埼玉県出身だが、高校生の時に両親が離婚したため大学進学を断念して青島だァ知事が退任する寸前の東京都庁に入庁した。そこで真逆の保守過激派の石原都政を学びながら大学の2部で地方自治を専攻し、卒業後は財政破綻した夕張市に派遣されて辣腕を奮ったことで市民の信頼を獲得して夕張市長に当選し、さらに知名度を拡大して北海道知事になった人物だけに戦争に向けて腹を括っているようだ。
「陸上自衛隊は韓国と中国の武力攻撃に際しても北海道の戦力には手を着けずに維持しました。現在のロシア軍は冷静構造の終結とソビエト連邦の崩壊で大幅に戦力を縮小している上、ウクライナ侵攻の長期化で消耗していますからかつてのような大規模な部隊を侵攻させる能力はないでしょう。我々が何としても守り抜きます」敗戦後の防衛問題を直視することなく黙殺している歴史教育やマスコミ報道では語る者はいないが、東西冷戦が激化してソビエト連邦の侵攻の危機が現実味を帯びた時期、日本政府はアメリカ軍の北海道への駐留を要請したことがある。しかし、アメリカ政府は「北海道は守り切れない」と拒否して三沢基地の空軍部隊を増強し、陸上自衛隊との日米協同訓練を開始することでお茶を濁した。今回もアメリカの海軍と空軍は海空自衛隊と協同行動を開始しているが地上部隊は津軽海峡を渡っていない。
「我々は道民をどこに避難させるかに苦慮しているんです。北は稚内から名寄、旭川、東は根室から網走、釧路、北見。この市だけでも北は40万人、東は36万人です。道路と鉄道が使える間に避難させないと沖縄戦を再現することになる」幕僚長は知事の深刻な顔を見て中国の細菌兵器=新型コロナ感染症が北海道で蔓延した時、テレビの報道番組に同世代の大阪府知事と代わる代わる出ていたことを思い出した。あの頃、幕僚長は埼玉県の朝霞駐屯地の陸上総隊司令部で勤務していたが、東京都の蔓延防止策で週末にも目の前の自宅に帰ることができなくなり、「政界の売女(ばいた)」と呼ばれていた都知事の厚化粧に腹を立てていた。
「沖縄戦では対馬丸事件で県民が船での疎開を恐れるようになって、当時の泉守紀知事が説得には消極的だったので沖縄本島在住の島民を県内の離島にも疎開させていませんでした」「それで第32軍は首里の司令部壕を中心に沖縄本島中部が戦場になると県民を北部と南部に避難させながら司令部を南部の摩文仁に移動させたから戦闘に巻き込むことになった。それだけは避けなければなりません」若い割に道知事は戦史に詳しいようで幕僚長の補足説明に深くうなずいた。むしろ新型コロナウィルス感染症の蔓延以上の危機に直面して同様の事態に対応した先人の教訓として沖縄戦を研究したのかも知れない。
「千歳空港は我々が警備することになりました。管制官は航空自衛官ですから戦争になっても任務を死守するでしょう。取り敢えず北海道南部に移動させて危険になれば千歳と函館、航空の八雲の空港からの空路、青函トンネルの新幹線で本州へ脱出させると言うのが常識的な対応ですね」「陸上自衛隊が千歳空港を守るなら安心だ。航空は基地警備だから範囲が限られる。その点、陸上なら地域全体を守ってくれるはずだ。仮に函館空港の国土交通省の公務員労組が職務放棄しても千歳から派遣してもらえば何とかなる」思いがけず道知事の防衛問題に関する知識の深さと高さ、広さを披瀝されて幕僚長は素直に感服した。
「本当は長崎県の対馬が全島民を本土に移住させた時から北海道でも同じ対応をするべきかを検討させていたんです。ところが対馬の人口は3万人でも北海道は530万人、受け入れ先を探すのも困難で総務省に相談しても受けつけられませんでした」総務省は福島第1原子力発電所の事故で民政党政権に命ぜられるままに3万3千人を避難させたが、自民党が政権奪還して以降、マスコミが共産党と協力して粗探しの批判報道を始め、自然現象=天災の大震災と津波による原子力発電所事故を人災とする損害賠償だけでなく避難生活の苦痛に対する精神的慰謝料を請求する訴訟まで続発させた。バブル期入省の無能な中央官僚にとっては「自分が迷惑する」と言う一点に於いて戦争と天災に違いはなく業務を拒否することに罪の意識はないようだ。現場の人間としては「国家の危機」で意識を一致させてもらいたいものだ。
「泉知事の後任で沖縄の島守(しまもり)になった島田叡知事は『断じて敢行すれば鬼神も之を避く』を座右の銘にしておられました。私はその覚悟です」「我々は終戦時の第5方面軍司令官で北部軍管区司令官の樋口季一郎中将の『城下の盟もまたやむを得ない』ですね」幕僚長が紹介した「城下の盟」とは敵が石垣の下まで攻め寄せてから結ぶ盟約=和睦のことだが、樋口中将は日本がポツダム宣言を受諾してからも千島列島と樺太でのソビエト連邦軍との戦闘を指揮して北海道上陸を阻止した名将だけに実感がこもっている。
  1. 2022/12/20(火) 14:09:57|
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