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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月1日・志願して日系人収容所に入ったラルフ・ラソの命日

1967年の明日1月1日に対日戦争中にフランクリン・ルーズベルト大統領の大統領令9066号によって設置された強制収容所に日系人のふりをして入所したアメリカ人・ラルフ・ラソさんが肝臓病で亡くなりました。67歳でした。
現在の日本では同様に敵対していたドイツ系やイタリア系の移民は放置しながら日系人だけを強制収容所に収監したことを「人種差別」と断定的に紹介していますが、西海岸に居住する日系人だけが対象になったのには軍事的必然性がありました。
ラソくんは1924年にロサンゼルスで塗装業を営む両親の姉の下の長男として生まれ、日系人街=リトル・トウキョウの近傍で幼い頃に母親が病没したため父親に育てられました。市の中心地にあるベルモント高校に進学すると同級生には多様な人種が混在し、差別意識を持たないラソくんは誰とでも親しくなり、特に日系人とはフランクリン・ルーズベルト政権内にスターリン書記長が送り込んだ政治工作員の策謀によって反日感情が高まる中(日本でも同様に)、固い友情を結ぶようになりました。
ところが1941年12月8日に日本海軍が真珠湾を奇襲してフランクリン・ルーズベルト政権がヨーロッパ戦線を含む第2次世界大戦への参戦を決定すると艦載機の離発艦訓練に出ていた航空母艦以外の太平洋艦隊の艦艇の大半が壊滅して制海権を日本に握られたアメリカは本土西海岸への日本軍の上陸が現実の脅威となり、クリスマスの頃にはFBIの捜査官が令状も持たずに日系人の家に踏み込んで家宅捜査するようになり、1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領が大統領令9066号にサインして西海岸地域に居住する日系人を遠く離れた内陸部に設置した強制収容することが決定したのです。そのためアメリカで生まれて市民権を有していた2世、3世も対象になり、アメリカ政府は罪を犯していない11万5千人の市民の正当な権利を剥奪して10カ所の強制収容所に収監する人道上の罪を負うことになりました。
当然、ラソくんの友人たちも対象になり、次々に強制収容所に送られて行くのを目の当たりにしていて疑問と怒りが抑えられなくなり、父親に「ちょっとキャンプに行ってくる」と断ると大きめの手荷物を持ってカリフォルニア州東部の荒野に向かう列車に乗り、オーエンズバレーにあるマンザナール転住センター=日系人強制収容所に入ったのです。収容所での入所手続きはほぼ自己申告だったため日系人には見えないラソくんも正式に収監が認められ、1万人が暮らす収容所の一員に加えられました。
収容所では兵舎のような作りでコールタールを塗った紙で目張りした宿舎で囚人のように常に監視の目に晒されながら生活しましたが、日系人たちは規律正しく前向きで自発的に荒れ地を開墾して耕作を始め、売店を開業し、新聞を発行し、子供たちの学校を開設してラソくんは後に「2年半の収容所生活で正しい社会性を身につけた」と語っています。
実際、ラソくんは1944年8月に兵役で収容所を出て太平洋戦線に従軍、1946年に除隊してカリフォルニア大学で社会学の学士号、同大学院で教育学の修士号を取得すると教育者として差別意識の解消とアメリカ政府の強制収容の責任追及に貢献しました。
  1. 2022/12/31(土) 14:18:31|
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