2022年12月31日に世界中で絶大な人望を獲得していたヨハネ・パウロ2世の後任として即位した上、容姿が映画「スター・ウォーズ」の巨悪・銀河帝国皇帝パルパティーンに瓜二つの悪役のイメージだったため伝統的なカソリックの道徳を否定するマスコミや市民団体からは保守反動の権化として批判された265代教皇=退位後は名誉教皇・ベネディクト16世=本名ジョセフ・アロイシアス・ラツィンガーさんが崩御しました。教皇経験者としては歴代最高齢の95歳でした。
ベネディクト16世は1927年にドイツのバイエルン州マルクトル・アム・インで警察官と食堂の手伝いの夫婦の兄姉の下の二男として生まれました。幼い頃から兄と共に司祭を志していましたが1939年9月1日に第2次世界大戦が勃発すると14歳でヒトラー・ユーゲントに加盟しました。保守派でドイツ人のベネディクト16世が即位するとヨーロッパのマスコミはナチスとの関係を暴いたつもりで「元ヒトラー・ユーゲント」と書き立てましたが当時は10歳から18歳の少年を加盟させることが保護者に義務付けられていたので誤報ではないものの歪曲報道だったのは確かです。
第2次世界大戦が終結すると兄と共にバイエルン州トラウンシュタインの聖ミカエル神学校に入り、1951年には司祭に叙階され、1953年に神学博士号を授与され、さらに1957年には大学教授の資格も取得しました。こうして1958年にフライジング哲学神学大学の教授になるとその後はボン大学、ミュンヘン大学、テュービンゲン大学、レーゲンスブルグ大学の教授を歴任し、レーゲンスブルグ大学では副学長を兼務しました。この経歴からも判るようにベネディクト16世は儀礼・信仰よりも教理・教学の大家として知名度を上げ、2005年4月19日の即位後はドイツ人的な頑なさもあって世界各地での対話を重視し、実践していたポーランド人のヨハネ・パウロ2世に比べて保守反動のイメージが強く、ヨーロッパで蔓延し始めていた貞操観念の否定の結果としての人工中絶や同性愛、不倫などを新たな権利とする社会的風潮を真っ向から否定し、カソリックによる人間社会の倫理道徳の再構築を目指したのでした。
ところがマスコミはベネディクト16世がインターネットにヴァチカンの公式サイトを立ち上げ、ドイツ人=加害者としてアウシュヴィッツで慰霊し、トルコではイスラム教のモスクを訪問してギリシャ正教会の総主教と対面し、さらにイギリスで国教会の教主であるエリザベス2世女王と対面するなどヨハネ・パウロ2世の対話路線を継承していることは黙殺し、逆に2009年にアイルランド政府が公表した1930年代から80年代にカソリックの施設内で2500人余の少年少女が性的虐待を受けたとするスキャンダルを皮切りにしてアメリカでの同様の事例を取り上げ、とどめにドイツのベネディクト16世が大司教だった教区や兄が指揮者を務めていた聖歌隊でも被害者が訴え出ていることを喧伝してカソリックの権威を封殺したのです。
このため2013年2月28日に本人の意思としては1294年以来の生前退位しました。ちなみにこの退位発表の夜、サンピエトロ大聖堂の尖塔に落雷しました。アーメン。

銀河帝国皇帝パルパティーン
- 2023/01/07(土) 13:32:27|
- 追悼・告別・永訣文
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