昭和41(1966)年の明日1月10日にサンヨー食品が袋入り即席麺の「サッポロ一番しょうゆ味」を発売しました。サンヨー食品はその後もサッポロ一番のみそラーメンと塩ラーメンをシリーズ化させたため北海道のメーカーだと思われていますが昭和28(1953)年に群馬県前橋市で富士製麺として創業し、野僧とイギリスの現国王の前悪妻の生年月日=昭和36(1961)年7月1日に現在の社名に改めました。現在は営業上の本社は東京の赤坂に置いていますが本社工場は前橋市です。ちなみにサンヨー食品は赤坂の本社ビルの屋上の大看板も社名ではなく「サッポロ一番」と表記し、後に発売したカップ麺も「サッポロ一番カップスター」と言う商品名にしています。
そんなサンヨー食品が何故、サッポロ一番を発売したのかと言うと当時の専務、後の2代目社長が味付き乾麺の「ピヨピヨラーメン(チキンラーメンのパロディか?)」、スープ別袋のご当地ラーメン「長崎タンメン」に続く新製品を探して全国のラーメンを食べ歩いていて札幌のラーメン横丁で口にした醤油味のラーメンを選んだのでした。
札幌ラーメンの発祥や経緯には諸説が混在していてインターネットの記述も鵜呑みにすることはできません。例えばよく知られている「札幌に出稼ぎに来ていた中国人が手延べした中国麺=中華そばを豚骨と醤油味のスープに入れて客に出したところ好評を博した」と言う説は中国人はあまり日本の醤油を好まないので「手延べの太い中華麺」の部分だけ信用します。野僧が北海道出身の友人たちから聞いた話では札幌ラーメンは「閉店後、遅い夕食を食べようとした食堂の店主がジャーの飯が終わっていることに気づき、残っていた中華麺(焼きそば説もある)を豚汁に入れたところ思いがけず美味だったので汁を工夫して店のメニューに加えた」とのことで味噌ラーメンが最初だったことになります。ちなみに友人たちは道北と道南の出身で「旭川ラーメンは醤油味、函館ラーメンは塩味」と力説していてサッポロ一番が昭和43(1968)年にみそラーメン、昭和46(1971)年に塩ラーメンを発売したおかげで「全て札幌ラーメンにされて不愉快だ」と怒っていました。また道北の友人は「仮に醤油味が最初なら旭川式のスープを模倣したのだろう」と語気を強めていました。
兎に角、「サッポロ一番」の商品名は同時期に発売された日清食品の「出前一丁」、明星食品の「チャルメラ」、徳島製粉の「金ちゃんラーメン」以上のインパクトがあり、その波及効果なのか全国各地に「札幌ラーメン」の店が出現しました。実際、野僧は沖縄県の石垣島でも札幌ラーメンを食べましたが、北海道の人が食べれば怒り狂うような味でした。また蒲郡市内には「くま」と言う札幌ラーメン店があり、蒲郡高校の生徒は普通料金で大盛りにしてくれるので土曜日の部活動前の昼食に蒲高生が殺到していました。
一方、豚骨ラーメンや長崎チャンポンの本場の九州や山口県では見ることがなく(中華そばの店はある)、即席麺でさえ「うまかっちゃん」です。余談ながら九州にはサンポー食品と言う大手の即席麺メーカーがありますが、サンヨー食品は九州のライバル・メーカーのマルタイの方と資本・業務提携しています。
- 2023/01/09(月) 15:01:12|
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