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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月13日・意外!まだ書いていなかった源頼朝の命日

昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見て自分の記事の源頼朝を読み返そうとしたところ見当たらず、まだ書いていなかったことが判明しました。
源頼朝公の命日は建久10(1199)年の1月13日とされていますが、野僧の現役時代の座右の書の「吾妻鏡」には記述はありません。「吾妻鏡」は鎌倉幕府の公式記録=業務日誌なので治承4(1180)年4月に以仁王の令旨が源頼朝公に届いて以降の動向が詳細・具体的に記載されているのですが、建久7(1196)年から建久9(1198)年までの3年間が欠落していて建久10(1199)年の年明け早々に「鎌倉殿が逝去したため嫡男の頼家が後を継いだ」と記録を再開しているのです。
死因については10年以上が経過した建暦2(1212)年2月28日になって相模川の橋を修理することの記録に「この橋は落慶祈念式典から帰る途中で頼朝公が落馬した例の橋だ」と補足説明しているだけで死因とは明記していません。また同時代の宮中人や比叡山の慈円大僧正の日記には「病死」とあり、この両者を組み合わせて「馬で移動中に持病の発作を起こして落馬、頭部を強打したことで死亡した」と言う鎌倉殿でも採用されていた通説が成立しました。一方、あくまでも落馬を原因としたい人たちは乗馬に熟練した源頼朝公が落馬する原因を考えなければならず、そこで平家や源義経くんの亡霊を見て驚いて馬の腹を蹴り、驚いて立ち上がったため背後から落馬して後頭部を強打したと言う風説が出来たのです。確かにどちらも化けて出そうですが心霊現象は史実にはなりません。
そんな源頼朝公を野僧は名古屋市に売り込んだことがあります。と言うのも源頼朝公の生母は2012年の大河ドラマ「平清盛」では田中麗奈さんが演じていた熱田神宮大宮司・藤原季範さん(友人の先祖)の娘・由良さんで現在の名古屋市熱田区で久安3(1147)年に生まれたからでした。
名古屋市では毎年10月中に行われる名古屋まつりで「郷土三英傑」と言う出し物があって織田信長公、豊臣秀吉さん、東照神君・徳川家康公に扮した人物が名古屋駅から名古屋城までパレードするのですが、「徳川家康公は幼い頃に織田家の人質になったことはあっても大人の武将として名古屋に居住した史実はなく、三英傑に加えるのは誤りだ」と名古屋市役所と愛知県庁、名古屋商工会議所の担当者に指摘したのです。そして代案に「正真正銘の名古屋出身の大英傑」として源頼朝公を採用するように提言したのですが、名古屋市の担当者は「源頼朝では知名度が低い」「徳川家康は御三家筆頭・尾張藩主の先祖だ」と逃げを打ちました。
確かにその時点ではNHKの大河ドラマでも昭和41(1966)年「源義経」の芥川比呂志さん、昭和47(1972)年「新平家物語」の高橋幸治さん、昭和54(1979)年「草燃える」の石坂浩二さん、1993年「炎立つ」の長塚京二さんと華がある役者は演じていませんでしたが2005年「義経」は中井貴一さん、前述の「平清盛」は岡田将生さん、今回の「鎌倉殿の13人」でも大泉洋さんでしたから今なら拍手喝采でしょう。ただし、今年の「どうする家康」の人気次第で追加の4人目にされる可能性もあります。
  1. 2023/01/12(木) 13:19:47|
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