昭和41(1966)年の明日1月15日に福島県常盤市に現在は2006年公開の映画「フラガール」の舞台のスパリゾート・ハワイアンズとして知られている常盤ハワイアン・センターが開業しました。
明治以降、常磐市では浅野財閥が経営する磐城炭礦と大倉財閥の入山採炭が主要産業でしたが艦艇・船舶の動力が石炭の蒸気機関から石油燃料のエンジンに変わり、敗戦後は安価な輸入石炭に押される中、労働争議が頻発して人件費の高騰と処遇改善に経費がかかり、追い討ちを掛けるように暖房などの燃料にも石油が普及すると需要が激減して炭鉱の経営が困難になりました。しかし、福岡県の筑豊炭鉱と同じく地元に深く根ざしている両財閥は合併して常磐興産になった上で炭鉱に代わる新たな事業によって住民の雇用を確保する施策を検討し、系列会社の常磐湯本温泉観光会社の社長が坑道の底部から湧き出る豊富な温泉を利用して当時「日本人が行ってみたい外国ナンバー1」になっていたハワイをイメージした観光施設の設立を発案し、周囲の「武家の商法ならぬ炭鉱屋の観光業が上手くいくはずがない」「10年もてば恩の字」との反対を押し切って決定させたのです。それからは映画「フラガール」で描かれているように炭鉱で石炭を掘っていた男性たちが敷地に椰子や南洋殖物を植えて並木や庭園を作り、事務員だった若い女性たちが新設された常盤音楽舞踊学院でフラダンスの教育を受けてこの日を迎えました。
すると当時のハワイ旅行は農協の団体ツアーと贅沢目の新婚旅行以外では庶民には憧れるだけの空しい夢だったので、列車や自家用車で行ける常磐ハワイアン・センターは予想以上の人気を集め、当時としては高額な宿泊料金だったにも関わらず120万人強の客が宿泊し、昭和43(1968)年には140万人を突破して大阪万国博覧会が開催された昭和45(1970)年には155万3千人の1度目のピークを達成しました。
ところが昭和46(1971)年のドル・ショックで高度経済成長が停滞すると来客数は110万人前後に下げ止まりして、ハワイアンが売り物のリゾート施設には似合わないアイドル歌手や演歌歌手の歌謡ショーが催されるようになり、昭和59(1984)年には初の経常赤字になりました。それでも昭和63(1988)年に常盤自動車道が開通すると140万人まで客足が回復しましたが、バブルの狂乱景気で海外旅行が当たり前になると福島県の模造品は見向きもされなくなり、1990年に全面改装してスパリゾート・ハワイアンズに改称しました。その後は1994年に開設した日本最大の露天風呂・江戸情話与市が新たな客層を開拓して120万人台を回復、東京と仙台への無料送迎バスの運行などの経営努力と映画「フラガール」の公開で2007年には161万1千人の2度目のピークを達成しました。
ところが2011年3月11日の東北地区太平洋沖地震と4月11日の福島浜通り地震で湯源が大きな被害を受け、さらに福島第1原発事故の被災者の受け入れ施設になったため休業を余儀なくされました。それでもフラガールたちは大災害が発生した地域への慰問公演を続け、現在も常盤音楽舞踊学院は全国から生徒を集めています。

フラガール47期生・Aulli晴奈さん
- 2023/01/14(土) 14:03:08|
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