世の中には「NHKの大河ドラマで日本史を学んでいる」と公言する人がかなりいますが、実際は前回の「鎌倉殿の13人」のように史実は正しく押さえている作品と若年層や女性の視聴者拡大を狙った軽薄な学芸会に分かれ、今回の「どうする家康」の出演者と脚本家は完全に後者です。野僧としては主人公が我が東照神君・徳川家康公なので一応見ていますが、2回が終わった時点であまりに滅茶苦茶な粗筋に怒り心頭に達しています。
先ずは冒頭で家康公を260余年の天下泰平を築いた「東照神君」と紹介したので、関ヶ原の敗軍の総大将でありながら自刃することなく生き恥を晒し、改易ではなく減封に留めてもらった大恩を弁えることなく逆恨みしている毛利領に棲んでいる者としては嬉しく思いましたが、その東照神君の髪型が武将とは思えない今風で、軟弱極まりない風貌と共に一気に興醒めしてしまいました。
そして嫁取りの場面では年上だった若殿=馬鹿殿の今川氏真さんの妾を押しつ受けられたと言う史実は完全に無視して槍の勝負で相思相愛の相手と結ばれる安っぽい青春物語になっていました。しかし、今川義元さんが氏真さんの妾を押しつけたのは東照神君に劣等感を与えるのと同時に妻には純潔を奪い、肉体を弄び、快楽に溺れさせた過去で精神的に縛って松平側の内応者とする戦国時代らしい深謀遠慮もあったのです。このことが後に織田信長公の命に従って妻と長男を死に追いやることにつながるのですから演じている女優のauのCMのかぐちゃんのイメージを優先した歪曲は軽率です。
そして第2話は岡崎市にある徳川将軍家の菩提寺・大樹寺が舞台で、「先祖の墓前で自刃しようとした」と言う逸話は登誉上人が「厭離穢土・欣求浄圡」の法語を示し、武将・為政者としての道を説いて思い留まらせたと言う続きとセットで伝承しています。ただし、番組ではそれに妙な人間模様を絡めて訳が判らなくなっていました。
そして問題なのは最後に大樹寺の山門前(現在の立派な鐘楼式山門は3代将軍・徳川家光公が全面改築したもの)で包囲している松平昌久さんの前に東照神君が1人で進み出て気迫で圧倒することになっていましたが、実際は攻撃を受けて僧兵を持たない浄土宗の寺院でありながら寺僧たちが甲冑を身につけて応戦し、中でも祖堂了伝和尚は山門の閂(かんぬき)を引き抜くと7尺(2メートル超)の巨体で振り回しながら鬼神の化身のように戦ったため敵兵は恐れを為して東照神君は生命を長らえたと伝わっていて、実際にその閂は東照神君から「貫木神(かんぬきのかみ)」の神号を与えられて寺宝として祀られています。祖堂了伝和尚はその後も宗旨である浄土宗の生きた守護尊として東照神君の帰依を受け、江戸に松平西福寺を与えられますから(関東大震災と空襲で焼失して現在は静岡市内に移設されている)出番がなくても良かったのでしょうか。
そして最後に太陰暦の天文11年12月26日生まれの東照神君を「本当は年明けの兎年生まれ」と言う虚言を弄しましたが、これは脚本家が下調べした時に太陽暦では1543年1月30日生まれなのを見て思いついたのかも知れません。ここまま史実を無視するのなら信じている視聴者のために「これはフィクションです」と字幕を入れるべきでしょう。
- 2023/01/18(水) 14:52:50|
- 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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