「島民は全く現れないな」「あの女、何か隠語を放送したんじゃあないですか」「確かに集合場所は中央部の牧場と言っただけで名前はアイツが決めた」町役場を無人にした10名と空港を蹂躙した40名のうち30名が岡元牧場で合流したが、島民は一向に姿を見せず、苛立だった兵士たちは秘書が放送した一斉放送を疑った。しかし、あの秘書も放送を終えたところで射殺したから尋問はできない。人民解放軍の銃殺は先ず心臓を狙い、死亡しない時に眉間を射つ日本軍式とは違い至近距離から後頭部を射つため弾丸が突き抜ける前頭部が裂け、脳漿が飛び散る。射殺を命じられた兵士は背中を向けて話していた秘書の飾り紐で束ねた長い髪に沿わせて銃口を上げ、マイクのスイッチを切った時点で引き金を落とした。マイクの手前の台に転がった頭は秘書室で命乞いした時に引きつらせていた目から眼球が飛び出して見る影もなかった。その遺骸も放送室の椅子に座らせたまま放置してきた。
「こうなると40人で手分けして日本人を探さなければいけませんが、意外に大きな建物もありますから日没までに終えるのは難しいでしょう」時間を気にする将校の指揮官に町役場要員だった軍士(下士官)が意見を述べた。中国では第2次天安門事件を共産党による一党独裁に反対する学生たちの政治的暴動と断定して再発防止のために人民への愛国心教育を強化した。中国共産党にとっての愛国心とは侵略者である日本軍を敗北させた国民党軍の手柄の横取りであり、日本の凶悪性を強調するため東京裁判で告発した戦争犯罪を誇張して詳細に教え込んだ。そんな愛国心教育を受けて育った世代のこの軍士たちにとって罪もない呂論島の5000人の島民を皆殺しにすることは南京で日本軍が虐殺した30万人の中国人に比べれば僅かであり、仇討ちには不十分なのだ。島民をこの広い草むらに集めたのも取り囲んで発砲し、遺骸をそのまま放置するためだった。勿論、遺骸の周りには詭雷(ブービー・トラップ)を仕掛ける。
「時間がかかれば日本軍が来る。それまでに輸送機を呼んで本隊と地対空ミサイルを運び込まなければ任務が達成できない」「失敗すれば党が許しませんよ」これが呂論島を占領する目的だ。呂論島には中型ジェット輸送機が離着陸できる1200メートルの滑走路があり、尖閣諸島への大規模な挑発飛行によって第9航空団の戦闘機を引きつけ、隙を狙って輸送機を強行着陸させる。呂論島に地対空ミサイルを配備すれば南西航空方面隊の防空エリアに障壁を構築して海上自衛隊第5航空群の哨戒飛行も遮断できる。そうなれば前回失敗した奄美諸島への艦隊の派遣と占領も成功する。手始めは航空自衛隊のレーダーサイトがある隣りの沖永良部島だ。
人民解放軍は開戦直後の奄美諸島制圧作戦を立案するに当たり情報収集に着手したが、那覇空港の国土交通省労働組合員や沖縄県内の日本人工作員に那覇基地の機能妨害を命じたものの航空自衛隊は長年苦しめられてきた日本人による敵対行動は織り込み済みだったので先手を打って万全の防空態勢を維持し、偵察飛行は実施できなかった。仕方なく偵察衛星で奄美諸島の8つの有人島を注視したが性能が劣り、解像度が低い上、アメリカ宇宙軍の妨害電波に遮断されて役に立つ情報は入手できなかった。そのため観光で奄美諸島を訪れた帰国した留学生や在日中国人に国家情報法を適用して情報を収集したが旅行案内の域を出なかった。中国の国家情報法は在外中国人にまで情報提供を義務づけてスパイ化する法律だが、事前に諜報活動を命じている訳ではないので成果は限定されるようだ。
「分担を決める。軍士(下士官)は集合」「これは町役場で奪ってきた地図ですね」「パナウル王国って何でしょう」指揮官は声を張り上げて中国語で呼びかけた。空港から来た兵士たちは苛立ちが緩んで退屈しのぎに放牧されている肉牛を56式歩槍で狙っている。将校である指揮官の命令を聞いた軍士たちが歩き始めたが動作に緊張感はない。空港から来た30名は清軍士長の黙認を受け空港内で若く美しい女性たちの肉体を堪能して来たので次は食欲を満たしたいようだ。その点、町役場では若い女性職員たちも迷わず射殺してきた。尤も航空会社に採用された選りすぐりの女性と町役場に地元就職した島の娘では容貌に格差があり、町長の秘書が最高の美人だった。空港の女性たちはまだ殺されず現地調達の慰安婦にされているはずだ。
「役場が襲われたらしいぞ」「町長以下皆殺しだそうだ」「駐在さんも死んだようだ」呂論島内では秘書の一斉放送を聞いた島民たちが緊急会議を始めていた。それは慶事凶事を問わず自然発生する島独自の情報網の作動だった。座長は沖縄で言うモンチュウの長(おさ)が勤めるが、高齢化し過ぎて頭の機能が低下した人物は聞き役に回される。
「中国軍となると手段を選ばないはずだ」「自衛隊はこないのか」「鹿児島の知り合いにスマホしたから連絡は着いとる」やはり隠語を用いるまでもなく「中国人民解放軍に占領された」と明言したことが最悪の事態の発生を周知していた。その頃、800キロ離れた佐賀県の目達原駐屯地からAH―64攻撃ヘリコプターが発進したが限界速度365キロでは3時間弱かかる。
- 2023/01/19(木) 16:00:53|
- 夜の連続小説9
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0