「この集落は蛻(もぬけ)の空です」「島から逃げることはできない。探せ」将校の指揮官・孟少校(少佐)は空港からも清軍士長以外の9名を呼び戻し、岡元牧場に兵士を整列させて島民を捜索し、殺害する部隊を編成した。そのうち19名を呂論島では人口が集中している茶実に投入し、それ以外の5つの地区に6名ずつ向かわせた。ところが奪った車両で到着した集落に住民の姿はなく一軒一軒を虱(しらみ)潰しに捜索しても無駄だった。各地区の指揮官の軍士たちはスマートホンで空港に移動した孟中佐に報告してきたが互いに困惑の言葉を交換するだけだった。孟少校としては外洋に浮かぶ狭く平坦な孤島に5000人の島民が身を隠す場所があるはずがなく、弾切れにならない限り6名でも皆殺しは容易だと考えていたのだ。
「鉄筋コンクリートの家屋が多いので手榴弾では破壊できません」「沖縄の民家は赤い屋根の木造建築じゃあないのか」別の軍士からの報告に孟少校の困惑は混乱になった。孟少校は作戦を割り当てられた後、呂論島の地誌について教育を受けたが、その多くは帰国した留学生の観光の思い出話に過ぎず、見せられた記念写真に写っていたのは呂論島と一緒に回った沖縄本島の民家だった。呂論島は平坦なため台風を遮る地物がなく民家を鉄筋コンクリートで建てて家の中で通過を待つ以外にない。そんな堅牢な家屋が手榴弾くらいで破壊できるはずがない。
市街戦では捜索を終え、潜伏していた敵を掃討した家屋や部屋の入口には塗料用スプレーで識別の目印を表示するのだが人民解放軍は野戦を専らにしているため孟少校もそんな知識は持っておらず、漁民を装って出航した時も準備しなかった。島内の工具店やホーム・センターで奪えば用は足りるが知識がないのでそれもしていない。
「病院には入院患者と看護師が残っています。処分します」「医師と看護師は残せ、使い道がある」続いて茶実地区にある病院に向かった軍士から報告が入った。隣りで話を聞いていた清軍士長は「看護師の使い道」を誤解して下卑た笑いを浮かべたが、孟少校は本隊が進駐してきた後の治療行為を期待している。孟少校が空港ターミナルに入るとロビーのソファーには全裸に剥かれ、股間に精液が溢れた美貌の女性たちの絞殺遺骸が放置されていた。それはロシア軍がウクライナで繰り返していた野性本能の発露なので、それを戦場の常識として学習している清軍士長を問責することは控えた。
「何をするんですか。傷病者に危害を加えることは戦時国際法で禁止されていますよ」病院では各病室に1人ずつ兵士が踏み込み、看護師に制止する暇(いとま)を与えずベッドに座っている患者を射殺し始めた。すると女性の看護師は悲鳴を上げることもなく銃口の前に立ちはだかり、日本語で叱責した。この病院は徳之島出身の医師が日本医師会を離脱して設立した医療団体が運営していて看護師たちの郷土愛を基盤とする使命感は極めて強い。
「指揮官に禁止されたからお前は射てん。どけ」「患者を守るのが看護師の使命です。あのお爺ちゃんはもう長くなかったけど、このお爺ちゃんは退院して家に帰る予定なの。その大切な生命を奪わせることはできないわ」兵士と看護師の会話は中国語と日本語なので噛み合わないが、お互いの立場で「殺」と「護」を果たそうとしていることは推察できる。看護師の「看」は「手で見る」を意味する漢字で患者との一体感は客観的に診察する医師よりも強い。しかし、高齢化が進む呂論島の病院だけに入院患者の大半は認知症も進む高齢者なのでこの緊迫した事態もベッドに座って黙って眺めているだけだ。患者たちの目には病室で上演されている寸劇に写っているのかも知れない。それも考えられないのが認知症なのだろうか。
「それじゃあ仕方ない。順番は狂うが他の患者から片づけることにしよう」兵士は全くたじろがない看護師を持て余し、銃口を隣りのベッドの患者に向けて発砲した。
「ご先祖さんに守られているような気分だな」「いつもは不気味なところだけどね」町役場の一斉放送を聞いて漁港を有する集落の島民たちは中国軍が来る前に漁船に乗り合わせて海に逃亡し、それができない集落の島民たちは岩礁や隆起した古い珊瑚礁に掘られたギジ=ヂシに身を隠した。ギジと言うのは呂論島では敗戦後に占領軍に火葬と墓地への納骨を強制されるまで行われていた遺骸を野晒しにする風葬で、白骨化させた後に海水で洗骨してから埋葬する墓所だ。そのため入口は狭く、照明はない。中には先祖代々の遺骨が多数安置されているが、マラリアが流行した時には患者を運び込んで死なせたため横たわった遺骨もある。当然、観光客を案内することはなく中国軍に発見される危険性は低い。
「その水中銃は何」「武器はこれしかなかったんだ。中を覗く奴がいれば射ってやる」真っ暗いギジの中で家族たちは声をひそめて雑談を始めた。平和な呂論島には魚をさばき、屠殺した肉牛を解体する刃物くらしか武器になる物はなく、唯一の飛び道具が海中でゴムの力で銛を魚に射つ水中銃だった。ただし、地上でどの程度の威力があるのかは試したことがない。
- 2023/01/20(金) 15:44:13|
- 夜の連続小説9
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