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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月24日・脳障害者のリッキー・レクターの死刑が執行された。

1992年の明日1月24日にアーカンソン州の拘置所で42歳の脳障害者=リッキー・レイ・レクター死刑囚に致死量の薬物注射が執行されました。ちなみに死刑執行命令にサインしたビル・クリントン州知事は1年後には大統領に就任しています。
レクター死刑囚の罪は1981年3月21日に友人とアーカンソー州コンウェイにあるナイト・クラブに飲みに行ったところ友人がサービス料の3ドルが支払えず店員に入店を拒否され、口論の中で差別用語を吐きかけられたことに怒って38口径の拳銃で発砲し、倒れた店員の額と喉を殴打して死亡させたのです。この時の発砲で他にも2名を負傷させました。レクター死刑囚は友人を車に乗せて逃亡し、途中で置き去りにして徒歩で市街地を徘徊しましたが、姉と妹が合流して説得すると警察に出頭して罪を償うことに同意して実家で旧知の警察官と待ち合わせたのです。
ところが警察官から1名の殺人、2名の傷害では10数年の服役になると説明され、根は真面目なレクター死刑囚は凶悪な囚人と一緒に10数年間服役することに恐怖を感じ、逃れるために衝動的に背後から警察官に発砲し、倒れたところを頭と首を殴打して殺害してしまいました。そこで我に返ったレクター死刑囚は絶望して拳銃で頭部を射ちましたが致命傷にならず大脳=前頭葉の損傷による知能の著しい低下の障害を負ったのです。
日本の刑法39条では1項「心神耗弱者の行為は罰しない」、2項「心神耗弱者の行為はその刑を減軽する」と責任能力を規定しているため犯罪を実行した時点の精神状態や知能水準が裁判の争点になりますが、レクター死刑囚の場合は犯行後に拳銃で頭を射ち、大脳に損傷を負ったことが障害の原因なので該当しません。
一方、アメリカではレクター死刑囚が裁判を理解できないことが問題になり、開廷の可否を巡って判事・検事・弁護人の間で激しい論争が起こりました。それでも精神科医が「言語を理解し、会話が成立しているから裁判を受けることは可能」と診断したため弁護士出身で州の司法長官から就任したビル・クリントン州知事が「罪には決着を着ける必要がある」と裁判が始めさせると陪審員は疑いの余地がない証拠と証言によって有罪と評決し、相応する刑罰として死刑の判決を下したのです。
ところがアメリカでは死刑囚が自分の罪を理解して心から後悔するか、逆に恐怖に慄き心理的に悶え苦しみながら(肉体的には安楽死)死なせることに意義があると考えているので、罪どころか死の意味も理解できないレクター死刑囚の執行には全米で賛否両論が湧き起こり、執行まで10年を要しました。
レクター死刑囚は執行前の最期の食事としてビーフ・ステーキ、フライド・チキン、チェリー・クールエンド(サクランボの粉末の甘い飲み物)、ペカンパイ(コーンシロップとペカンナッツで作る甘いパイ)を頼みましたが、ペカンパイを手つかずで残したため看守が食べるように勧めると「後で食べるから残しておいてくれ」と笑顔で答えたそうです。
執行されるまで死刑の結果を理解できなかったまま逝ったレクター死刑囚は本人にとっては幸せだったのかも知れませんが多くの難題を遺しました。
  1. 2023/01/23(月) 14:54:49|
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