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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月26日・文化財防火デー=法隆寺金堂で火災が発生した。

昭和24(1949)年の明日1月26日に奈良県斑鳩の法隆寺の金堂で火災が発生して内陣と12面の壁画が焼失しました。この災禍を繰り返さないため翌年の5月30日に文化財保護法が制定され、この日が文化財防火デーになりました。ただし、その昭和25(1950)年7月2日には京都の金閣寺が寺僧の放火によって焼失しています。
法隆寺は18万7千平方メートルの境内に金堂と五重塔の西院伽藍と約350メートル離れた夢殿を中心とする東院伽藍があり、中でも西院伽藍は天智天皇9(670)年に焼失した後の7世紀後半に再建された世界最古の木造建築物群とされています。
金堂は外観が入母屋作りの2層3段式屋根なので2階建てのように見えますが内部に上層階はなく天井が高い1階建です。内陣には正面に本尊である釋迦牟尼佛と文殊師利菩薩・普賢菩薩の3尊像、東間に東方浄瑠璃浄土の薬師瑠璃光如来と日光菩薩・月光菩薩の3尊像、西間に西方極楽浄土の阿弥陀如来と観世音菩薩・大勢至菩薩の3尊像、東西南北には持国天、広目天、増長天、多聞天の四天王、さらに釋迦牟尼佛の3尊像の両脇には毘沙門天と吉祥天が控えています。このうち釋迦牟尼佛座像は頬笑みを浮かべている口元や杏仁形の目、図形的な衣紋の処理、首に3本の皺がないことなど平安期に成立し、鎌倉期に変貌を遂げた日本独自の佛像様式とは異なり、極めて大陸的です。
そんな金堂は満洲事変が勃発する前の昭和9(1934)年に着工しながら対米英戦争で工期は大幅に伸びていた解体大修理が終戦によって本格再始動していて、堂内の佛像は全て隣接する講堂に遷座して建物も上層部は解体されていました。
壁画についても取り外して保管・修復することが提案されましたが法隆寺側が信仰上の理由で難色を示したため当時の代表的日本画家・中村岳陵さん、荒井寛方さん、橋本明治さん、入江波光さんの4人による模写が行われ、それだけでなく京都の美術書専門店が原寸大の写真を撮影して4色刷りで着色複製しました。
法隆寺の金堂の壁画は江戸期に檀家制度による寺院の自立経営が確立する中、檀家を持たない官寺は困窮し、やむなく寺宝を一般公開することで収入を得たため全国に広く知れ渡り、明治以降は日本を代表する佛教美術の至宝として多くの外国人が拜観に訪れるようになっていました。
ところがこの日の朝7時過ぎに出火すると内陣と下層階が炎上し、午前9時過ぎに鎮火するまで燃え続けただけでなく消火活動の放水によって壁が崩落したのです。またこの工事に合わせて境内に消火用の溜め池が作られていて五重塔への類焼防止に役立ちました。
火災の原因については奈良地方検察庁が厳しく検証しましたが、法隆寺内の寺僧の諍いよる放火の噂はあったものの証拠はなく、模写に当たっていた画家が電源を切り忘れた電気座布団から出火したと断定されて法隆寺国宝保存工事事務所の所長以下3人と電気座布団の製造メーカーの社長が業務上失火と電気事業法違反で起訴されました。しかし、電気座布団からの失火も可能性の1つに過ぎず、検察側は公判を維持できずに業務上失火は無罪、電気事業法違反の罰金刑になりました。
  1. 2023/01/25(水) 14:08:52|
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