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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月1日・無表情な喜劇王・バスター・キートンの命日

1966年の明日2月1日は演技中に全く表情を変えないことから「偉大なる無表情」「死人の顔」と呼ばれていながらチャールズ・チャップリンさんやハロルド・ロイドさんと共に「世界の3大喜劇俳優」と評されているバスター・キートンさんの命日です。
落語でも「出の顔」と言って噺家が舞台に登場した時には観客をなごませる笑顔を振り撒きくものですが、役者にとって顔の表情は手足の仕草・動作以上に感情の機微を表現する手段であってそれを封印しながら3大喜劇王と呼ばれるほどの人気を博したのには感心するしかありません。
キートンさんは1895年にアメリカのカンザス州ピクアで舞台芸人夫婦の長男として生まれました。本名はジョセフ・フランク・キートンです。両親はキートンさんが4歳になると「キートン3人組」を結成して舞台に上げ、父親が幼いキートンさんの脚を持って逆さに振り回す人間モップなどの荒っぽい演技で人気を獲得しました(今なら児童虐待です)。それでもキートンさんは泣くことなく喜劇を演じていたそうです。弟と妹が生まれると2人も加えて「キートン5人組」になりましたが、キートンさんほどの演技力はなかったようで再び「キートン3人組」に戻っています。キートンさんの「バスター=頑丈」と言う芸名はこの頃、階段から転落しても泣かないのを見た手品・奇術師が「なんて頑丈なんだ」と感心したことに由来します。
1917年にニューヨークへ出るとチャップリンさんをアメリカで売り出した映画会社で多くの作品に出演するようになって「キートン3人組」は自然消滅しました。初期の作品では後年の代名詞になる「無表情」ではなく笑顔や泣き顔、激怒した顔などの感情表現を惜しげもなく披露しています。
1918年には第1次世界大戦に出征したため映画界からは遠ざかりましたが帰国後はチャップリンさんの映画撮影所を買い取って独立すると初の長編映画に出演しました。それからは自ら脚本・監督・主演する作品を次々に発表し、「無表情」を役者としての個性とするようになっていきました。
しかし、映画産業の発展によって作品の規模、出演者の人数が拡大すると個人経営では対応できなくなり1928年に映画撮影場を売却して大手映画会社に移籍しましたが、分業システムや経営優先の映画製作に意欲が萎え、脚本の執筆や監督としての演出からは手を引き単なる間抜けな男のドタバタ劇に出演するようになり、次第に酒に溺れてアルコホール障害を患い、やがて破産して映画の表舞台から消えてしまいました。
その原因としては極端なハスキー・ボイスだったため本人の音声も流れるトーキー作品では観客に嫌悪感を与えると言う通説がありますが、1930年公開の「エキストラ」では美声とは言えないものの洒落た歌声と華麗なダンスを披露しています。
その後は役者ではなく監督や原案・企画、ギャグの演出などの裏方に回りましたが、1952年の映画「ライムライト」では老ピアニスト役でチャップリンさんと共演しました。1959年にはアカデミー名誉賞を授与されています。
  1. 2023/01/30(月) 14:16:27|
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