「海上保安庁が日本漁船を撃沈」得撫(ウルップ)島沖での巡視船・ふなしりと不審な漁船団の銃撃戦の翌朝のA日新聞は一面に詳細な記事を掲載していた。海上保安庁としては北海道を管轄する第1管区海上保安本部が千島列島を哨戒中のアメリカ海軍のオルカ888から得撫島近海に停泊する不審船発見の通報を受け、根室海上保安部に巡視船・ふなしりを派遣させた。すると太平洋上で発見した漁船団は停船命令に従わずに逃走しただけでなく乗員が自動小銃を乱射してきたため機関砲で応戦したのだ。その後、ふなしりは漁船の乗組員の捜索を行うのと同時に指揮系統に従って報告したが、まだ海上保安庁から国土交通省に上がり、それぞれの長や主要幹部に伝わった段階のはずだ。それが時系列に具体的かつ詳細に列挙・解説されているのは報告そのものがA日新聞の手に渡ったとしか考えられない。
田島3佐は警視庁の伊藤警部から呼び出しのメールを受け、部隊長に電話で午前半日の休暇の許可を受けると指定の待ち合わせ場所の公園に向かった。公園で先に待っていた伊藤警部は田島3佐にA日新聞の朝刊を渡して1面を読ませてから話を始めた。
「A日だけが報じていると言うことは海保(海上保安庁)か国交省(国土交通省)の誰かが情報を漏洩したな。テレビもまだ報じていないだろう」田島3佐が自宅で購読している3K新聞には関連した記事はなく、朝から気分が悪くなるのでA日新聞系列局のニュースは見ていないが国営放送を含めて他の局は全く触れていなかった。
「国交省の労組は共産主義革命の活動家の巣窟だった国労(国鉄労働組合)の影響を受けた亡国組織だから海上保安庁が自衛隊と一体になって日本を守っていることが我慢ならんのだよ」確かに記事にはワザワザ欄を設けて「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」と言う海上保安庁法第25条の全文が添付されている。
「警察も治安出動なら問題ないが、戦時には文民としての地位を保持する必要があるから自衛隊と一体になって戦うことはできないぞ」「犯罪としてのテロと間接侵略の境界線が難しいところだな。しかし、今時のテロは外国の組織に武器を与えられて指令に従って実施している。在日のテロも完全に間接侵略だろう」田島3佐の見解に伊藤警部は難しい顔をしてうなずいた。警察にとっては犯罪としてのテロと外国が戦闘員を潜入させるか、武器を国内の活動家に渡して内乱を起こさせる間接侵略は不法行為に違いはなく特に区分したことがなかった。一方、自衛隊は自衛隊法第3条の「自衛隊の任務」で「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、治安の維持に当たるものとする」と規定されているため素通りすることはできない。
「それでも自衛隊法80条では防衛出動や治安出動で必要があれば海上保安庁を防衛大臣の統制下に入れることができると規定してるんだ。何よりも陸の治安出動と同様に海にも海上における警備行動が発令されているから一体行動を採るべきだろう」「現段階で海保は防衛大臣の統制下に入っていないぞ。今の自衛隊を見ているとウチや海保は別組織だから自衛隊ができないことを穴埋めできているような気がする。今回の海保の対応も自衛隊では常任理事国に利用される危険性が高いだろう」今度は田島3佐が渋い顔をしてうなずいた。中国が尖閣諸島で捏造した毒ガス使用の問題でも警察が当事者だったから戦争犯罪に発展しなかったが、自衛隊であれば違法な軍事行動として開戦の口実にされるところだった。
「確かに現場は得撫島沖だから日本が領土・領海と主張している北方領土から外れた公海上だ。そこで自衛隊が武器を使用すれば反撃と称して地対艦ミサイルを射たれかねない」「おそらく海保は先に銃撃を受けたから応射した正当防衛だと説明するんだろう」A日新聞の記事の末尾には「海上保安庁は朝から説明の記者会見を予定している」と書いてあった。ところで歴代の海上保安庁長官は素人の国土交通省の官僚が制服を着ていたが、加倍政権下以降は現場上がりの海上保安官が就任している。防衛省の内局のような官僚の嫌がらせが心配だ。
「それにしてもA日新聞は自衛隊が同じことをやれば『憲法9条が認めていない交戦権の行使だ』『憲法違反だ』って騒ぎ立てる癖に警察や海保なら問題にしないんだな」「海保は昭和28年8月8日にも北海道に潜入していた工作員を収容してサハリンに向かうソ連のラズエズノイ号と銃撃戦をやらかしているが憲法問題にはならなかったようだ」話は反れたが勉強にはなった。海上自衛隊も1999年3月23日に能登半島沖を逃走する北朝鮮の工作船に対処するため初の海上における警備行動が発令されたが憲法問題にはならなかった。どうやらマスコミにとっては日本国憲法第9条が保持を否定する陸海空軍に相当する自衛隊の存在と国の交戦権の行使になる防衛出動だけが問題のようだ。
- 2023/02/01(水) 14:29:34|
- 夜の連続小説9
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0