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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月3日・節分特集の昔話「鬼を拝んだ婆さん」

太陽暦の2月3日は江戸時代以降に立春の前日が定着した節分です。節分は「鬼は外、福は内」と叫びながら炒り豆を投げて鬼を追い払い、福を招くのが節分の定型になっていますが、小庵では「鬼さん、いらっしゃーい(「おいでませ」とは言わない)」と大歓迎して、鬼神を教化して護法天とする「地蔵菩薩本願経・閻羅王衆讃歎品」を勤めています。そんな訳で節分特集として富山県の昔話「鬼を拝んだ婆さん」を紹介します。
「むかしむかし越中の国のある村に佛さまに祈らずに土産にもらった大津絵の鬼を拝んでいる婆さんがいました。寺の和尚さんが名号を書いて渡しても貼り変えず、念佛を教えても聞く耳を持たず、一向に止めないので村人たちは『死んだら罰が当たって地獄へ墜ちるぞ』と噂していました。するとある日、本当に婆さんは死んでしまいました。
死んだ婆さんは三途の川を渡り、賽ノ河原を歩いて閻魔大王のところへ向かいましたが途中で鬼たちに会ったのです。婆さんは鬼たちを見ても恐れるどころか『本物の鬼さんに会えた』と大喜びして、鬼たちも『いつも俺たちに祈ってくれていた婆さんだ』と大喜びしました。ところが閻魔大王は『佛さまや神さまではなく鬼を拝むとは不届き千万』と烈火の如く怒って地獄往きの判決を下したのです。
こうして婆さんは地獄へ堕ちましたが最初は釜茹での刑でした。すると番の鬼たちが『婆さんはこっちだ』と別の小さな釜に案内したのです。そこで背中をこすってもらって長年の垢を落とし、按摩してもらって疲れを癒し、湯船に浸かると程良い湯加減で婆さんは気分が好くなって鼻歌を唄い始めました。その歌声は地獄中に響いて閻魔大王にも聞え、『釜茹でにされても堪えないのか』と驚いて婆さんを呼ぶと真新しい着物に着替えて湯上り気分で現れて『好い湯加減だった』と言ったので呆れてしまいました。
次に閻魔大王は針の山の刑を命じました。こちらでも番の鬼たちが婆さんを背負って山の頂まで登らせました。山頂からは足元に地獄の責め苦が目に入って良い眺めではありませんでしたが、遠くに見える極楽の景色は素晴らしく感激した婆さんは『針の山に住みたい』と言い出しました。
そこで番の鬼が婆さんの願いをかなえようと閻魔大王に頼みに行くと『あんな婆さんを置いておくと地獄の評判が良くなってしまう』と言って極楽への追放刑に判決を逆転させたのです。こうして極楽へ登ることになった婆さんを鬼たちは階段の入り口で大泣きしながら見送りましたが、婆さんは『鬼たちと別れるのは寂しいが、極楽で暮らすのも悪くないだろう』と元気に階段を登っていったそうです。めでたし、めでたし」
節分は本来、季節の変わり目を意味する言葉なので立春だけでなく立夏、立秋、立冬の前日も該当します。そして「節分には邪気が入りやすいから」と祓った儀式が現在の豆撒きになったのです。邪気を邪鬼に勘違いされて追い払わる羽目になった鬼さんには迷惑なことでしょう。また曹洞宗では節分に盂蘭盆会と同じ施餓鬼(施食と呼んでいる)供養の法要を勤めますが、餓鬼と鬼神は全く別者なので宗教的意義はありません。こちらは「鬼」つながりのこじつけか、他に供養が思いつかない不勉強です。
  1. 2023/02/03(金) 13:32:31|
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