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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月8日・日露戦争・旅順港攻撃が始まった。

日本が帝政ロシアに宣戦布告する2日前の明治37(1904)年2月8日に日本海軍がロシア極東艦隊の主力艦が集結していた旅順港の攻撃を開始しました。これを見てもアメリカの真珠湾攻撃を騙し討ちとする非難が軍事常識から外れていることが判ります。
日本では2月4日の御前会議で帝政ロシアとの開戦が決定し、陸海軍に6日からの作戦行動が伝達されると海軍は陸軍部隊を大陸に送るため対馬海峡と両側の日本海と黄海の制海権を確保する必要に迫られ、逆に同海域の制海権を奪取するためにウラジオストックから旅順港に進出していたロシア太平洋艦隊の撃滅が最優先の課題になりました。
佐世保に集結していた連合艦隊は6日午前9時に出港し、途中でロシアの貨物船と商船を拿捕しながら7日には朝鮮半島中央部の沖にある小青島付近に進出して陸軍の第1陣の第2師団の仁川上陸を支援しました。一方、ロシア艦隊は旅順港に戦艦7隻、装甲巡洋艦1隻、防護巡洋艦8隻、砲艦6隻、駆逐艦18隻を進出させていましたが、旅順港は水深が浅く港口が狭いため大型艦には向かず、戦艦や巡洋艦は港外で停泊していました。
そこで日本海軍は2月8日午後6時に旅順港から東方44海里=約81.5キロの円島に駆逐隊を終結させ、第1から第3駆逐隊に旅順港、第4と第5駆逐隊に大連港の奇襲攻撃を命じたのです。ところが旅順港外でロシア海軍の駆逐艦を発見して前照灯を消灯したことで日本海軍同士の衝突事故が発生して隊列を乱したまま接近することになり、郊外に停泊していた大型艦に10キロの距離から魚雷を発射すると戦艦2隻と防護巡洋艦1隻に命中して3隻とも翌日になって他艦に曳航されて港内に入りましたが浸水によって座礁しました。また大連港に向かった第4と第5艦隊は敵艦に遭遇できませんでした。
翌9日になって第3駆逐隊が偵察と誘引のため7000メートルの距離まで旅順港外のロシア艦に肉迫しても反応はなく、さらに昼頃に第1と第2駆逐隊が距離8500メートルから挑発の砲撃を加えましたがやはり無反応で、ロシア太平洋艦隊の撃滅と言う課題は未解決のまま撤退しました。強いて言えば奇襲を防ぐことができず反撃もしなかったスタルク中将が太平洋艦隊司令官を解任されたことが戦果かも知れませんが後任は名将・マカロフ中将なので日本海軍に利益はもたらしませんでした。
その後、旅順港への攻撃は連合艦隊の至上命題になり、駆逐隊による攻撃が5回、狭い港口に廃船を沈める閉塞作戦が2回実施されましたが、3月6日にマカロフ中将が着任するとロシア太平洋艦隊は攻勢に転じ、攻撃にはロシア側も駆逐艦を出撃させて応戦したため戦果は上がらず、閉塞作戦も地上の探照灯と砲台に阻まれて失敗しました。
それでも連合艦隊はロシア艦隊の航路に機雷を敷設することで閉塞の成果を上げ、大型艦も旅順港内に逃げ込ませたため港外からの監視で封印し、陸軍が観測点の203高地を攻略して海軍が提供した28サンチ榴弾砲で砲撃を加えることに方針転換しましたが、第3軍司令官が乃木希典愚将だったため無用に長期化してバルチック艦隊の回航と時間を争うことになりました。それでも12月5日に203高地を占領すると9日までの砲撃で逃走に成功した戦艦1隻以外の全艦を撃沈しました。
  1. 2023/02/08(水) 12:12:31|
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