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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

北海道民の潜在意識を証明した横路孝弘知事が死んだ。

明治以降、日本政府が巨額の予算を投じ、多くの移住者によって開拓を進め、第2次世界大戦では日本の無条件降伏に前後して樺太と千島列島の占守島に侵攻してきたソビエト軍の上陸を阻止するため守備隊が終戦を知りながら勇戦し、戦後も陸上自衛隊の13個師団のうち4個師団を配置して本州・四国・九州の隊員を勤務させた恩義を裏切るように北海道民が選出した社会党の横路孝弘知事が2月2日に死にました。82歳でした。
確かに室町時代中期から明治まで北海道を支配した蠣崎家=松前家はアイヌ民族を弾圧・搾取することで存続したため他の地域のように藩主が領民を守り、慈しむ日本的な統治は育たず、どこか殺伐とした空気が発生したようです。明治になると札幌農学校ではアメリカ人のクラーク博士の布教で多くの学生が洗礼を受け、中央政府の神国教育=国家神道に反抗したことで反日の意識が醸成されたのかも知れません。そして敗戦後にはシベリア抑留で洗脳を受けた帰還者たちが北海道の分離・独立を目指して占領軍に抵抗する武装組織を作りましたから社会の根底に売国的精神風土が潜んでいても不思議はありません。
横路知事は対米英戦争が始まる昭和16(1941)年の1月に札幌市で小学校の教師の1人息子として生まれましたが、中学生の時に交通事故に遭って療養のため6年間かけて中学校を卒業し、16歳で札幌市内の高校に進学したものの敗戦後に教職員組合の指導者から社会党の国会議員になっていた父親の下へ移住して1年の2学期から東京の高校へ転校しました。東京大学法学部へ進学すると日本社会主義青年同盟に加入し、さらに在学中に24歳で司法試験に合格して昭和43(1968)年に弁護士登録しています。
ところが昭和44(1969)年に父親が心不全で急逝したため一般的社会生活を経験することなく補欠選挙に社会党から立候補して当選し、以降、道知事の3期を挟んで12回当選しています。そんな中、毎日新聞の西山太吉記者が泥酔させて肉体を奪った外務省の41歳で既婚の女性事務官に持ち出させた沖縄返還に関する日米密約の外交文書を楢崎弥之助議員と共に国会で暴露・追及しましたが文書を収めた茶封筒に記されていた一連番号を隠さなかったため出どころが発覚し、女性事務官は国家公務員法違反で訴追を受けて失職した上に家庭が崩壊して情報源を守る責任を果たさなかったのです。
そして昭和63(1988)年に北海道知事に立候補して当選しましたが、社会党の知事を不安視する道民を安心させるため自衛隊の駐屯地の式典に参列し、将官と会食するなどの演出に努めましたが、行政実績としては革新系知事の常で自治労に甘く職員による不祥事が続発し、人気取りのイベント「食の祭典」の失敗で「ショックの祭典」と揶揄されるほどの巨額な赤字を出して3期までで退陣して国政に復帰しました。
ところが今回は下り坂を転げ落ちている社会民主党ではなく同じ北海道選出の鳩山由紀夫が代表だった民主党から出馬し、そのおかげで悪夢の政権交代にも参画して衆議院議長を勤める栄誉を獲得しました。しかし、自民党の政権奪還選挙では小選挙区で落選し、次では当選したものの2016年の衆議院選挙には出馬せず、政界を引退しました。
その他にも売国行為の噂を耳にしていますから冥福は祈りません。閻魔大王によろしく。
  1. 2023/02/10(金) 13:52:47|
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