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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

大河ドラマをつまらなくした永井路子さんが亡くなった。

1月27日に1979年の大河ドラマ「草燃える」と1997年の「毛利元就」の原作者の歴史作家・永井路子さんが亡くなったそうです。97歳でした。
永井さんは大正14(1925)年に東京の本郷で生まれましたが、複雑な家庭の事情で母親の叔父の長女として入籍して現在の茨城県古川市で育ちました。戦時中に東京女子大学を卒業し、敗戦後は東京大学に再入学しています。卒業後は歴史学者の息子で後に本人も歴史学者になる男性と結婚し、同時期に小学館に入社して雑誌の編集を担当する一方で自分でも歴史小説を執筆するようになりました。
やがて司馬遼太郎さんや寺内大吉さんたちが発起人になって創刊した同人誌「近代説話」で歴史小説を発表するようになるとそれまでの史実に基づく男性中心の物語から妻が果たした役割に着目した展開がウーマンリブの風潮と合致して一躍人気作家になりましたが、本人の美貌に評論家や文芸雑誌の編集者が好意を抱いたことにも助けられたそうです。
そんな永井さんの作品は鎌倉時代初期の4人の人物を描いた「悪禅師(頼朝公の異母弟の阿野全成法師)」「黒雪賦(梶原景時さん)」「いもうと(北条政子さんの妹で全成法師の妻の保子)」「覇樹(北条義時さん)」を1つにまとめた「炎環」が大河ドラマ「草燃える」に、毛利元就さんを描いた「山霧・毛利元就の妻」が同じく「毛利元就」になっていますが、「草燃える」では鎌倉幕府の公式記録・吾妻鏡を読んでも頼朝公の存命中は「御台所」として時折登場するだけの北条政子さん(朝廷からこの名前を受けるまでの本名も不明)を鎌倉殿と対等な口を聞く女傑に仕立て上げ、演じていたのが岩下志麻さんと石坂浩二さんだっただけにその夫婦関係が強烈に印象づけられることになりました。「毛利元就」に至っては本名も判っていない正室に「おかた(大河ドラマでは美伊)」なる名前をつけて激励どころか指図するような場面を作っていましたが、毛利元就さんと言えば鎌倉幕府で謀略の限りを尽くした大江広元さんの末裔だけに武将としての指揮・采配よりも悪逆非道な罠で勢力を拡大したことには関与させていません。永井さんは作品を執筆するに当たり、独自に年表を作成して史実や人物の関係を正確に捉えるように注意していたと言われますが、「女性を活躍させる」と言う目的のためには史実は無視していたようです。
「草燃える」以降の大河ドラマでは永井さんの作品と同様に男性の業績を全て女性の手柄にした橋田壽賀子さん脚本の1981年「おんな太閤記」、1986年「いのち(実在しない戦時中の女医)」、1989年「春日局」を始め、1985年「春の波涛(女優第1号の川上貞奴)」、1994年「花の乱(足利義政さんの悪妻・日野富子)」、2002年「利家とまつ(前田利家さんの正室)」、2006年「功名が辻(山内一豊さんの賢妻)」、2008年「篤姫(13代将軍・徳川家定さまの正室)」、2011年「江(2代将軍・徳川秀忠さまの恐妻)」、2015年「花燃ゆ(吉田寅次郎の妹)」が放送されて「大河ドラマで歴史を勉強している」と公言している人たちに間違った知識=歴史観を与え、抗議の電話にNHKの担当者が「所詮はドラマですから」と答えるような次元が低い番組になってしまいました。果たしてその罪科を閻魔大王がどう裁くのか。
  1. 2023/02/14(火) 13:56:23|
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