2月5日に野僧の世代はNHKが毎回15分間の子供向け人形劇の「ひょっこりひょうたん島」「空中都市008」「ネコジャラ市の11人」を放送していた夕方の時間帯に全く趣が違う人形時代劇「新八犬伝」や「真田十勇士」でリアリティーとは別の存在感を堪能させられた人形作家の辻村寿三郎さんが亡くなったそうです。89歳でした。
辻村さんは昭和8(1933)年に満洲国の朝陽で生まれ、生後間もなく料亭を営む辻村家に養子に出されたため宴席で働く芸者の着物と所作を見ながら育ち、5歳頃からは割り箸を人型に組んで着物を着せて遊ぶようになったそうです。戦時下で料亭の経営が苦しくなった昭和19(1944)年に現在の広島市西区横川に引き揚げ、1年で養母の実家がある三次市に転居しますが、横川は4カ月後に投下された原子爆弾の爆心地から2キロほどだったので「そのまま住んでいれば死んでいた」と後年、辻村さんは語っています。
敗戦後は三次市内で手先の器用さを生かすべく裁縫士を目指して洋服店に就職しますが長続きせず、職を転々としている間に劇団の裏方になり、看板描きや衣装作りに励むようになりました。そんな中、昭和29(1954)年に養母が亡くなると広島公演で知己を得ていた前進座の看板役者の河原崎国太郎さんを頼って上京して小道具製作会社で働き始めますが、非凡な才能を見出した河原崎さんの推薦で淡路人形浄瑠璃劇団の人形座に入団して後の人間国宝・2代目桐竹紋十郎さんに師事することになりました。
そして27歳で人形造りを本業とすることを決心して独立すると昭和36(1961)年の第13回現代人形美術展で「八百屋お七」が入選し、昭和40(1965)年に原子爆弾で死んだ小学校の同級生兄妹をモデルにした「ヒロシマより心をこめて」を発表すると、その独特の作品に注目したNHKからマンネリ化していた夕方の人形劇の新企画「新八犬伝」の人形製作を依頼されたのです。
「新八犬伝」は幕末の戯作者・曲亭馬琴さんの南総里見八犬伝を下敷きにした昭和48(1973)年4月から昭和50(1975)年3月までの2年間、全464話の長編人形劇でしたが、坂本九さんの解説と主題歌にも独特の味わいがあったものの何よりも辻村さん(当時はジュサブローでした)の文楽的ではありながらより現代的な人形が仁義礼智忠信孝悌の8つの玉を持つ八犬士や伏姫、後に犬士の妻になる女性たち、里見義実、その忠臣の金腕大助=‘大(ちゅだい)法師、悪女・船虫などの個性や感情までも表現していて、中でも八犬士に祟る怨霊・玉梓の迫力には圧倒されましたが、その哀しみを秘めた表情に里見義実に美貌を見染められて妾にされながら猜疑心によって殺された恨みの深さを感じて目が釘付けになってしまいました。
一方、昭和50(1975)年4月から昭和52(1977)年3月まで全445話の「真田十勇士」は柴田錬三郎さんの原作ですが、野僧は中学生=受験生になっていたのであまり見ませんでした。それでも妖術で空中を引き飛ばされた女忍者・夢影の胸元が肌けて乳房が露わになる場面を見て1人で興奮したのは強烈に記憶に残っています。懐かしい思い出に感謝を込めて冥福を祈ります。合掌
- 2023/02/15(水) 13:44:55|
- 追悼・告別・永訣文
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