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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月21日・木造地区警察署襲撃事件が発生した。

昭和27(1952)年の明日2月21日に青森県津軽地区ではシリーズ化している朝鮮半島人の暴動・木造地区警察署襲撃事件が始まりました。
満洲事変以降、日本では兵力の急激な増強に迫られて全国の若者が一斉に徴兵されました。そのため労働力不足が蔓延し、中でも自作の食糧で栄養を十分に摂って成長したため身体強健で、土を取り扱うことに熟練している農民は兵士として重宝するので多くが出征して食料の増産が急務になっているにも関わらず農作業が滞る事態に陥っていました。これに対して政府は朝鮮半島で工場の労働者や農民を募集して送り込んだため都市部と農業地帯には半島人が大量に移住していたのです。
ところが日本が敗北して農家の若者たちが復員してくると大半の半島人は不要になりましたが、「約束の報酬を受け取っていない」「帰国の旅費を保証しろ」と虚言・妄言を弄して移住先に居座っただけでなく、「自分たちは日本の植民地支配の犠牲者だ」と事実無根の主張を強弁するようになり、占領軍も東京裁判の日本の罪を重くするのに利用したため「第3国人」と自称して日本の警察の捜査・逮捕を受けない治外法権を勝手に行使するようになっていました。
そんな中、2月21日に国家警察(当時はアメリカのFBIに相当する国家警察と州警察に当たる都道府県警察が並立していた)木造地区警察署が傷害事件で半島人2人を逮捕すると数十人の半島人が押し掛けて即時釈放を要求し、22日にも同様の行動を繰り返し、23日になると日本共産党が組織していた在日半島人による共産革命組織・祖国防衛隊の動員に応じた約70人が警察署を取り囲んで投石でガラスを割り、署内に乱入して警備の警察官と揉み合いになりました。当時、日本の警察官は「第3国人」に実力行使は許されておらず(禁止はされていない)好き勝手に暴れる半島人暴徒を身体を張って抑え、凶器や放火などを警戒しながら耐えていました。同時に国鉄木造駅(現在は巨大な目が光る遮光式土偶像が目印)を警備していた国家警察弘前地区警察署から派遣されていた応援要員11人が包囲され、携帯していた警棒を奪われる事件も発生しました。
こうなると青森市のアメリカ軍憲兵隊の出動を仰ぐ以外に解決策はなく当然、木造地区警察署は通報しましたが冬季のため降雪や凍結で道路事情が悪く、到着までに時間を要して事態を拡大することになりました。
しかし、津軽地区での半島人の暴動はこれに留まらず、むしろこれで発火したようで翌・昭和23(1948)年6月23日には五所川原市内の小学校の運動会で露店や屋台を経営する香具師と半島人が起こした暴力事件を発端として市内の女郎屋で報復の相談をしていた香具師6人を半島人が襲撃したことで双方が東北・北海道から多くの協力者を集めて一触即発・全面対決の事態に発展した大規模な抗争事件や昭和27(1952)年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効で日本が独立していた同年11月19日にも密造酒の摘発を行った五所川原税務署が半島人暴徒60人に占拠され、五所川原警察署に拘束されている半島人45人の釈放を要求した襲撃占拠事件などが続発しています。
  1. 2023/02/20(月) 15:16:10|
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