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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月28日・浅間山荘事件で警察が突入した。

昭和47(1972)年の明日2月28日に連合赤軍が管理人の妻を人質にして立て篭もっていた河合楽器の保養所の浅間山荘に警察の強行突入しました。
野僧は航空陸戦士官としてこの事件を詳細に研究しましたが資料を提供してくれた某都市の警察署警備課の幹部警察官は「乃木愚将の旅順攻城戦並みの敗北だ」と言う否定的な評価を率直に認めながらも「ベトナム戦争のアメリカ軍のように政治に足を引っ張られた結果だ」と憤懣やる方ない顔で答えました。
連合赤軍は共産主義武力革命を標榜としていた永田洋子(敬称不要・以下同じ)をリーダーとする日本共産党神奈川県委員会(通称・京浜安保共闘)と森恒夫の共産主義者同盟赤軍派が合併した過激派組織で、連続銀行強盗事件や塚田銃砲店襲撃事件で資金と武器・弾薬を手に入れて軍事訓練を開始すると警察が検挙に動いたため人目が届かない群馬県の榛名山や妙義山、迦葉山に山小屋の「山岳ベース」を構築したのです。ところが若い男女29名のメンバーの間で恋愛感情が芽生え、それを察知した永田の女性に対する私的制裁が始まり、それが「革命戦士としての規律と闘争心を維持するための総括」に暴走して12名を殺害して山中に埋めるに至りました。そうして永田と森が食料調達に出て不在中に「警察の山狩りが迫っている」との情報を得たメンバー15名が逃走しましたが、地図もないまま山中を彷徨している間にバラバラになり、坂口弘、坂東国男、吉野雅邦、18歳だった加藤倫教、16歳だった加藤の弟の5人が軽井沢の分譲別荘地に迷い込み、2月19日に運転免許保有者がいないにも関わらず乗用車を奪う目的で押し入った浅間山荘に管理人の妻を人質にして立て篭もったのです。
この事件では警察の体質的問題が数多く露呈しています。先ず捜索段階で山岳アジトが所在する群馬県警と浅間山荘の長野県警、そして過激派を捜査している警視庁の間で主導権争いが発生し、これに警察官僚が介入して初動対処が非常に混乱しました。また銃と弾薬だけでなく手製爆弾まで所持し、射撃などの軍事訓練を十分に受けている過激派に対して警察は昭和45(1970)年5月13日に瀬戸内海シージャック事件の犯人を射殺した狙撃手が人権派弁護士に刑事告発されたことを受けて発砲・応射を禁止し、60年安保闘争でデモ隊に踏み殺された東京大学生の樺美智子が悲劇のヒロイン扱いされていることを懸念して無傷での逮捕を厳命しました。また当時の機動隊の盾には防弾性能がなく身を隠して接近すると弾丸が貫通して負傷することになりました。さらに服装の更新中で幹部警察官だけ新型のヘルメットを被っていたため指揮官は一目瞭然で射殺された2名の警察官は警部と警視でした。
結局、5人の犯人を1500人の警察官が包囲し、9日間=219時間で死者3名(警察官2名と「代わりに人質になる」と勝手に現場に立ち入った民間人1名)、重軽傷者27名(警察官26名と放送関係者1名)の犠牲を払って事件は解決しましたが、坂東は昭和50(1975)年のクアランプール日本航空機ハイジャック事件の超法規的措置で釈放(坂口は拒否した)されると日本赤軍に参加して現在も国際手配されています。
  1. 2023/02/27(月) 15:02:21|
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