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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ416

「総理、この事態になっても防衛出動を下令しないのですか」同じ頃、東京の首相官邸では緊急閣議が開かれ、新潟市内に2発の中距離弾道ミサイルが射ち込まれた事態への対応が話し合われていた。いつもは韓国の現政権が親米親日に外交姿勢を転換したのを受けてアメリカとイギリスの存在を背景に中国とロシアに武力行使を中止させようと言う石田首相の意向に迎合している閣僚たちも今回は双木外務大臣や立野外務大臣が主張する「ロシアと中国は南アフリカやインド、ブラジルなどの新興経済大国を率いて西側諸国による国際秩序の破壊を画策している」との危機意識に賛同していた。
「私は旧自治省も統括する総務大臣として申し上げます」特に立本剛昭総務大臣は態度を一転させていた。立本総務大臣は父親が防衛庁長官に就任したのを機に大手銀行を退職して秘書官になったが、父親の死を受けて立候補した中選挙制当時の衆議院選挙で自民党の候補者に敗れて落選した。次に民政党から立候補して当選すると父親の秘書としての経験から防衛問題の専門家として活躍したが、「言うだけ番長」と呼ばれた表看板の影に隠れて目立つことはなかった。ところが第2次缶内閣では在日韓国人からの献金問題で辞任した「言うだけ番長」に代わって外務大臣に就任した。その後は民政党の政権陥落後も議席を維持したが、共産党との共闘を進める党執行部を批判して脱党すると現職のまま自民党に入党した。そのような経歴があるため入閣させた石田首相には殊更に恩義に感じていて誠実に支える態度を堅持してきたのだ。
「今回の弾道ミサイルは合計16発が発射されており、全弾が命中していれば日本海側の防衛態勢は崩壊したでしょう。これは最早、ロシアや中国が言う常任理事国の懲罰行動ではなく我が国への破壊活動、さらには侵略であることは明らかです」この発言には多くの閣僚たちも大きくうなずき、その中には釜田防衛大臣も含まれていた。流石の釜田防衛大臣も今回の事態には職責を痛感しているだけでなく、防衛省の内局には「弾道ミサイルを阻止できなかったのは防衛出動を発令させない釜田の責任だ」と言う批判メールが殺到している。先ほども市ヶ谷地区の正門前では首相官邸に向かう大臣車に半分残ったビールの空き缶を投げつけられた。
「さらに私が指揮している消防では消火活動中に隊員が銃撃を受ける事件が続発しています」「現時点では東京、埼玉、神奈川、千葉の首都圏と大阪に限定されていますが、自衛隊が日本海側に展開している以上、治安の維持には絶対数が足りず消防員の安全確保には困難を伴うでしょう」「しかし、この事態では陸上自衛隊を太平洋側に呼び戻すことはできません」立本総務大臣の説明に沢国家公安委員長と釜田防衛大臣も同調した。釜田防衛大臣は中央指揮所で弾道ミサイルの着弾を目撃して当事者になり、自衛隊の対応と被害についての説明を普段は無視してきた制服組に求め、実戦を目の当たりにした内局の官僚たちも聞き役に回っていた。
「総理、手遅れになる前に決断を。我が国が防衛出動を発令すればアメリカも日米安保条約を発動すると言っているんです。日米で防衛すれば東シナ海は万全です」ここでようやく双木外務大臣が口を挟んだ。双木外務大臣としては本来であれば毛沢東が「外交は血を流さない戦争、戦争は血を流す外交」と定義したように腹背=裏表の立場で国家の安全保障に当たらなければならない釜田防衛大臣がこれまで決して能力が高いとは言えない防衛省内局の官僚に操られていることに歯噛みして折れてしまうような憤りを抱いてきたが、ここにきて二人三脚になったのを実感していた。
「君は今までロシアと中国はアメリカ、イギリスと対決する覚悟を固めていると言ってきたじゃないか。ここで日米安保条約が発動されれば日本を舞台に全面核戦争が始まることになる。日本全土が昭和20年8月6日のヒロシマのようになってしまうんだ」追い詰められた石田首相が悲痛な声でこの期に及んだ見解を口にした。
「つまり総理はロシアと中国に降伏すると言うんですか」「まだ戦争になっていない以上、降伏はあり得ない。単なる屈服です」半分、涙声の見解に気色ばんだ立野官房長官が声を荒げると双木外務大臣が助け船のように指摘した。
「降伏かァ・・・先の大戦では昭和の陛下の御聖断を仰いだんだったよな」ここで閣内では最年長で唯一の戦時中の生まれである尾村悦郎農林水産大臣が呟いた。対米英戦争の末期、日本では陸軍が本土決戦に盲進する中、連合国がポツダム宣言を通告して無条件降伏を迫った。陸軍としては本土決戦で連合軍に痛撃を与え、ソビエト連邦の仲介で降伏ではなく停戦として戦争を終結させようとしたのだが、その時の鈴木貫太郎首相が用いた手法は昭和天皇の臨席を仰ぐ御前会議で自ら降伏の聖断を明言させることだった。この史実を耳にした石田首相は我に返ったような顔で尾村大臣を注視した。
  1. 2023/03/03(金) 14:07:20|
  2. 夜の連続小説9
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