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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

今度こそ逝ったのか?大川隆法教祖の訃報

幸福の科学なる新興宗教を主催し、幸福実現党と言う政治団体の総裁も務めている66歳の大川隆法教祖が2月28日の未明に自宅で倒れ、心肺停止の状態で病院に搬送され、3月2日に亡くなったそうです。ところが大川教祖は2004年5月14日にも心筋梗塞の自覚症状で通院すると医師から「前日から心筋梗塞で心停止している。貴方は死んでいるはずだ」と診断され、それでも本人に意識があったため「無痛性狭心症」と言う病名で入院・加療を受けて年内には退院したため教団では5月14日を「新復活の日」にしていますから今回も火葬するまで判りません。
ちなみに「新復活の日」に対する「復活の日」は小松左京先生の傑作近未来小説の題名やキリスト教が春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に祝う「復活祭=イースター(イエスが磔になって3日目に復活して天上に昇ったと言う伝承による)」ではなく大川教祖自身を天上に実在する教主=本尊・エル・カンタレー(=イメージは奈良の大佛の盧舎那佛)の本体部分が地上に降下したとしているためこの世に生を受けた昭和31(1926)年7月7日を指していて、毎年東京ドームで祝賀式典を催しているようです。
そんな大川教祖は「復活の日」に現在の徳島県吉野川市で元共産党員の畜産コンサルタントをしている父親の二男として生まれました。幼い頃から神光会(現在のGLA)や生長の家の影響を受けて共産党を脱退した父親から聖書や禅書・無門関の教えを受けて育ちましたがそれでも将来の夢は学者か外交官だったそうです。
地元で高校まで卒業すると東京で1年間の浪人生活を送って1976年に東京大学に入学して法学部政治コースを専攻しました。しかし、在学中に受験した司法試験や上級職国家試験には合格できず、本人の著書ではその理由について「司法や行政官としての実務能力ではなく学問的な知識を問う問題ばかりだったので自分の答案は受けつけられなかった」と説明しています。夢だったはずの外交官試験や学者への道=学界デビューについては特に触れていません。
結局、卒業後は総合商社に就職しますが、この頃から霊的覚醒が始まったそうで大学を卒業する直前に日蓮と日興の法論の「幻聴」を聞き、その後も空海さまやイエスさん、天之御中主などの宗教バラバラの相手と交信して「幸福の科学」の初期の教義ができたようです。ちなみに禅宗では坐禅中にこのような異常心理に陥ることを「禅魔」と呼んで打ち消すように坐禅に励むか、逆に力作務で汗を流すなどすれば解消します。
ところが1985年頃から父親と一緒に出版活動を始め、1986年に根本経典「正心法語」と理論書「太陽の法」を出版すると同年10月16日に宗教法人「幸福の科学」を創立しました。大川教祖はそれまでの新興宗教がマスコミを利用して宣伝することで入信者が急増しても、それを家族が問題化すると掌を返すように批判に転ずる実例を教訓として多額の寄付や出家しての入信生活を強制することなく呆れるほど頻繁に出版する著作物を購入させることで寄付に代わる収入を獲得しました。それでも大半は「過去の著名人の魂魄を大川教祖が呼び寄せて対談する」と言う代物で題材にされた人物の知名度と話題性で売り上げを伸ばしていたのは明らかです。今度は閻魔大王さまの意見を伺いましょう。
  1. 2023/03/04(土) 15:07:28|
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