「ウラジオストックで揚陸艦の出撃準備が始まったようです」「戦車を積んでいるところを見ると新潟に着上陸するな」新潟の石油彫像タンクの火災がようやく鎮火した日、首相官邸の地下にある監視衛星の管制室ではデーターの受信時間に顔を出した立野官房長官に日本海沿岸部のシベリアのロシア軍の動向を監視している担当者が報告した。担当者は大型コンピューターの画面にウラジオストック軍港の桟橋を拡大した映像を投影した。印刷すれば即座に国家特定秘密に指定されて厳重な保管と持ち出し手続きが義務づけられる。
「これはロプーチャ級揚陸艦でしょう。10隻いる。昨日までイン・ドックしていた2隻も作業が終わったようです」立野官房長官の隣りからコンピューター技術者の肩書で勤務している若手幹部自衛官が解説した。ここには各分野の専門家が同じように勤務しているが、それは高度な技術や知識を有する専門家を徴兵して人民解放軍に取り込んでいる中国方式の模倣だ。
「こちらはタピール級です。ウクライナ侵攻の時、クリミア軍港で撃沈されたって聞いたけど本当にまだ現役だったんですね。1965年から運用している旧式艦ですよ」「要するに現有の全戦力を投入して我が国に侵攻してくるつもりなんだ」幹部自衛官の補足説明に立野官房長官は苦々しく答えた。ロシア海軍は新鋭揚陸艦のイワン・グレン級の建造にまで予算が回らずソビエト連邦海軍が崩壊するまで建造を続けていたロプーチャ級揚陸艦を主力にしているが、その前のタピール級もあえて廃艦にすることなく活用している。その点は最近まで第2次世界大戦中のアメリカ製火砲を使い続けていた陸上自衛隊に似ている。
「2種類を使用すると言うことは2カ所に着上陸するつもりじゃあないですか。主力は新潟としても一部を佐渡島にとか」「確かにその可能性は考えておくべきだな」「ようやく防衛大臣もやる気になったそうですから意味のある議論になるでしょう」確かに速度に差がある新旧の揚陸艦を組み合わせて艦隊を編成するよりも2カ所同時の作戦と考える方が合理的かも知れない。それにしても緊急閣議で釜田防衛大臣が今までの消極姿勢から防衛出動の発令を求める積極姿勢に転じたと言う内輪話はここにも流れていた。
「ロシア軍は戦車をウクライナで消耗したからTー80までかき集めたようですね」「ロシア軍も装備の更新はヨーロッパ優先なんだよ。Tー14やTー90はヨーロッパに残しているそうだ」「それは陸上自衛隊と同じだな」この幹部自衛官は航空自衛隊のはずだが、唯一の自衛官として軍事情報を分析できるように陸海空自衛隊とアメリカ軍だけでなく周辺国の軍に関する知識も収集しているらしい。一方、立野官房長官は今回の事態で陸上自衛隊が1991年12月のソビエト連邦の崩壊を受けて以前の北海道優先から九州にも軸足を置いて股が裂けている現状を直視することになっていた。日本の防衛予算では2個方面隊の装備品を同時進行で更新することには無理があり、新潟から山形までの広大な平野でも必要な戦車を北部方面隊に一局集中したかと思えば地対艦ミサイルは西部方面隊を優先している。結局、どちらも更新に時間を要することになるが、中部方面隊が骨董品の手入れと整備に励むのに変わりはない。
「ロシア軍の揚陸艦は港湾に接岸すればランプドア(開閉式扉)から迅速に積み荷を下ろしますが、遠浅の海岸ではホバークラフトを使用します。それも艦内に収納するのでどちらを選択するかで搭載量が大きく変わるんです」「逆に言えば搭載量を見ればロシア軍が上陸を予定している場所が推定できるんだな」「正解です」立野官房長官は開戦当初からあまり関心を示さず、事態が切迫してからは意図的に目を背けようとしている最高指揮官に代わって実質的な指揮を執っているのでかなり専門的な思考能力が身についている。ウラジオストックから見れば日本海は太平洋を塞ぐように日本列島が囲み、海上自衛隊の航空基地だけでも八戸と厚木、岩国、大村の三方から攻撃を受ける可能性がある。これを掻い潜って日本に到達しても日本海側は遠浅の砂浜や護岸工事が整った海岸と富山と新潟の県境にある親不知のような断崖絶壁ばかりなので貨客船のように港湾に接岸するしかない。防御する立場で言えばロシア軍がホバークラフト=エア・クッションを選択すれば貨物の積載量が制約を受けるので有り難い。それだけでなくロシア海軍のポモルニク型ホバークラフトには歩兵360名又は戦車3両を搭載して時速113キロで航行できるが、海上で撃破すれば戦力と輸送手段を同時に喪失させられる。それを防ぐためにアメリカ軍は上陸前に激烈な対地射撃を加えて守備隊を根絶した上で3倍の戦力を投入するが、ロシア軍=ソビエト連邦軍はそこまで徹底しておらず昭和20年8月17日に千島列島最北端の占守島に侵攻した時には日本軍守備隊の1018人に対して1567人の犠牲を払った。今回の弾道ミサイル攻撃の失敗にもめげずに上陸作戦を強行すれば陸上自衛隊は占守島守備隊の「士魂(北海道第11旅団の合言葉)」を抱いて戦うはずだ。まさかロシア的感覚では2発でも着弾すれば成功なのだろうか。立野官房長官はその場で石田首相と双木外務大臣、釜田防衛大臣に電話した。やはり印刷は避けたい。
- 2023/03/06(月) 14:01:08|
- 夜の連続小説9
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