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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月11日・「胡蝶の夢」の主人公の1人・司馬凌海の命日

明治12(1879)年の明日3月11日は司馬遼太郎先生が幕末を舞台に幕府側の逸材・異才たちを描いた1979年の傑作小説「胡蝶の夢」の主人公の1人でも異質な人間性を発揮している島倉伊之助=司馬凌海さんの命日です。31歳と11カ月でした。
司馬遼太郎先生が「司馬凌海(しばりょうかい)と言う人物を小説の主人公にしたのだからペンネームの由来ではないか」と思ってしまいますが、ご本人の説明によれば「史記を著した司馬遷に遼(はる)か及ばない日本の男だから太郎」なのだそうです。
凌海さんは天保10(1839)年に佐渡島で半農半商=質屋の裕福な家の4人兄弟の長男として生まれました。6歳で佐渡島随一の塾に入門すると9歳で漢詩を作り、習うことは立ちどころに記憶してしまうため祖父は大いに期待して土蔵の中2階を勉強部屋にして押し込むと梯子を外して1人で書物とだけ向き合う生活を強要しました。そうして11歳になると祖父に連れられて江戸に出て唐津藩の儒学者に漢文を、13歳からは奥医師の養子になった蘭方医で「胡蝶の夢」の主人公の中心人物・松本良順さんにオランダ語と蘭方医術を学びました。しかし、成長期を土蔵の中で過ごしたため人間関係を構築して発展させる方法を全く身に着けておらず周囲の非難を浴びるような言動を常態化したため松本さんの佐倉藩医の実父に預けられたものの手に負えず佐渡島へ帰されました。実家では江戸仕込みの蘭方医として診療所を開業しましたが、相手に不快感しか与えない医者に患者が集るはずはなく閑古鳥が鳴いていたようです。
19歳になると長崎で海軍伝習場内に出島のポンペ軍医が西洋医学を教える医学所を開設していた松本さんに呼ばれて学生兼通訳として働くことになりました。そこでも凌海さんは天才的語学力を発揮して漢文の知識と組み合わせて蛋白質・窒素・十二指腸などの専門用語を考案しただけでなくドイツの医学書を読み、ドイツ人の雇われ船員の会話を聞くだけでドイツ語を習得し、英語やフランス語、ロシア語、ラテン語まで自在に操るようになったのですが、ポンペ軍医の執務室に勝手に入って書棚の本を持ち出したり、そこで知った新薬を調合して販売したことで怒りを買って免職されました。帰路に平戸藩医の娘と結婚して男の子を儲けますが、それを知った祖父が乗り込んできて佐渡島へ連れ戻され、今度は長崎帰りの蘭方医として開業しますが人間性は変わらず、長崎では語学ばかりで医術は学んでいないので閑古鳥だけが集りました。それでも佐渡島の女性と再婚して娘を儲けました。
その後は祖父の死を機に家督を弟に譲って司馬に改姓し、江戸=東京に出て明治政府に出仕すると東京や名古屋に開設された医学校で教育に当たる傍ら翻訳に励みましたが人間を相手にしない語学の方が高く評価されています。
「胡蝶の夢」に描かれている最期は孤立無援のまま結核を病み、療養していた熱海から駕籠で東京に向かう暴挙に出て、途中で菜の花が咲き広がっている風景を見て佐渡島で読んだ荘子の「胡蝶の夢」を思い出して「俺は蝶だぞ」と叫んで倒れ、運び込まれた戸塚の宿屋で誰にも看取られずに逝きました。野僧もそんな往き方をしそうです。
  1. 2023/03/10(金) 15:11:16|
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