fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月17日・実在した大悪魔・カール・マルクスが滅びた日

1883年の3月17日に世界を破滅に向ける呪いの宗教「共産主義」「弁証法的唯物論」の大悪魔・カール・マルクスの肉体が滅びました。
野僧は高校入学時の校内見学で県下有数の蔵書数を誇り、2箇所ある図書室に感動した一方で世界哲学全集が背表紙は日に焼けていながら新品同様なことを奇異に思って貸出簿を確認すると先輩が誰も借りていない=読んでいないことが判り、「卒業するまでに全巻を読破する」と言う目標を立てました。そうして2週間に1巻のペースで読み進んでいくと2年になった頃に「共産党宣言」になり、それを読み終えて「資本論」に入ったところで社会科の教師(後に母校の広島大学の教授になった)が「解説してやるからどこまで読んだか教えろ」と声をかけてきたのでいつもの流し読みができなくなりました。
カール・マルクス大悪魔は日本では11代将軍・徳川家斉公の時代の1818年にプロイセン王国=ドイツでもフランスとの国境に近いトーリアで富裕なユダヤ人弁護士の長男として生まれました。日本に限らずマルクス主義の信仰者は「資本家の搾取から労働者を解放する手段を説いた思想だ」と説明しますが、カール・マルクス大悪魔は富裕層の息子であり、日本共産党でも野坂参三さん、宮本顕治さんから不破哲三さん、志位和夫さんまでの歴代委員長も労働の汗を経験することなく大学で学んだ富豪の出身です。
1830年に中等教育学校に進学するとフランスでナポレオン皇帝失脚後に復権していたブルボン王朝が再び打倒される7月革命が発生し、その熱気の中で浮かれながら学生生活を送りました。続いて父親の職業を継ぐためボン大学で法律学を専攻しましたが、ここでも遊び呆けたため厳格な学風のベルリン大学に転学させられました。しかし、在学中に父親が死ぬと長男の責任として母親や妹の生活を支えようとすることなく放蕩生活を続け、勝手に「哲学者になろう」と方向転換したのです。
それでも大学に採用されるために提出した論文は内容が過激な上、文章表現が劣悪なため採用されず、家族で分与した資産で生活しながら新聞に投稿する文筆家になってここで社会主義者の編集者に出会ったことで後のマルクス主義を生みだす土壌が作られました。その後は無神論者・革命扇動家として指弾を受けながら次々に論文を発表し、1844年から14カ月間のパリ滞在中に共産主義を思索し、1849年に移住したイギリス・ロンドンで「資本論」を執筆して1866年に出版したのです。
野僧は「資本論」を読み終えて「資本家には良心が微塵もなく、搾取される労働者には苦痛しかない」と言う極端な人間観に疑問を感じて教師に訊いたのですが「マルクスがそう言っているからそうなんだ」と後に山口県人に吉田松陰(敬称不要)の論理破綻を指摘した時と同じ返事でした。マルクス主義では弁証法的唯物論と言う精神性を否定した物質的=科学的な現状認識で問題に対処するため人間としての正義を標榜する西側の指導者を打破することは容易でした。それがソビエト連邦、共産党中国の存立を可能にしましたが、所詮は150年以上前の机上の論理であり、資本家の良心による社員の福祉や社会への貢献の進展によって暴力革命によるマルクス主義社会の必要性は失われました。
  1. 2023/03/17(金) 15:39:30|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ431 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ430>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8300-bf4c1437
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)