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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月27日・軍国作家の代表・児島襄の命日

2001年の明日3月27日は明治以降の日本の戦争を主観に基づいて描いた軍国作家の代表・児島襄(のぼる)さんの命日です。
学徒出征で海軍(暗号解読担当)に入った経験から海軍を描いた作品が多い軍国作家の阿川弘之さんはある対談企画で某左翼系女流作家から「中国共産党は『児島襄さんは危険人物だ』と言っているけど貴方は『ただの流行作家』と思っているみたい」と言われて自尊心を傷けられたと述べていました。確かに阿川さんの「雲の墓標」「春の城(自伝的作品)」などの戦記小説や「山本五十六」「米内光政」などの伝記は読み物的要素が感じられてそれほど深刻にならずに読めますが、児島さんの作品は中学校の社会科の授業で「日本の産業は海運による輸出入で成立している」と習って以来の海軍少年だった野僧が初めて読んだ「戦艦大和」は妙に重々しく深刻で読後には考え込まなければなりませんでした。
しかし、幅広く戦史の知識を詰め込んだ頭で考え込むと児島さんの見解は主観に基づいて美化している点が多く、小学4年の時に父親が夜勤の日にだけ見ていた戦史アニメ「決断(原作・監修)」も自衛隊に入ってから見直すと必ずしも賛同はできませんでした。特に第17話「特攻隊誕生」で作戦の忌道・神風(シンプウ)特別攻撃隊を命じた大西滝治郎中将が自刃したことで許されるかのような描写は大間違いです。
児島さんは昭和2(1927)年に東京で生まれ、旧制・府立(当時は東京府だった)第1中学校、同・第1高等学校を経て東京大学法学部と大学院を卒業しましたが、大学在学中に極東軍事裁判を傍聴したことで教授に師事して外交史も学んだそうです。一部には「戦艦大和」は体験談だと思っている人もいますが年齢が合いません。
そして卒業後は共同通信に就職して外信部に勤める傍ら執筆活動を始め、やがて作家専業になると新聞や雑誌に長期連載されるようになりました。この頃の作品としては「太平洋戦争」「東京裁判」「戦艦大和」や「天皇(=昭和の陛下の前半生の伝記)」「大山巌」「日露戦争」「平和の失速・大正時代とシベリア出兵」「日本占領」「講和条約」「第2次世界大戦・ヒトラーの戦い」などがあり、「戦艦大和」で有名になっても(ただし昭和28=1958年公開の映画「戦艦大和」の原作は吉田満さんの「戦艦大和の最後」)、阿川さんとは違って必ずしも海軍にこだわってはいませんでした。
しかし、「決断」では全25話(最終回の26回は日本テレビ放送だけに読売の川上哲治監督のインタビューだった)のうち陸軍が7話、海軍が17話、終戦の決断が1話と極端に海軍に偏っている上、陸軍については緒戦のマレー突進作戦とシンガポール攻略、香港攻略、ジャワ攻略、バターン・コレヒドール攻略から終戦間際の硫黄島作戦まで跳んでいて、まるで「昭和には書くべきことがない」と嘆いていた司馬遼太郎先生と同様に対米英中戦争の陸軍には教訓とすべき決断がなかったかのような印象を与えていました。
それでも戦史の知識が詰まった頭で考えれば対米英中戦争の陸軍でもインパール独断撤退の佐藤幸徳師団長、降伏後の対ソ戦の樋口季一郎北方軍司令官、そして硫黄島を描いたのであれば沖縄戦も取り上げるべきだったのではないでしょうか。
  1. 2023/03/25(土) 13:11:22|
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