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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ439

「南方向から戦闘機の編隊が接近します」「南から・・・」ロシア軍は第3地対艦ミサイル連隊が展開している遠軽演習場を執拗に機銃掃射していた。おそらく陸上自衛隊が地域住民や環境団体の反対で公有地や私有地に陣地が構築できず演習場内に展開・待機しているとの情報を入手して偵察衛星などで重点監視していたのだ。その時、海岸付近にいる捜索・標定レーダー装置から指揮統制装置の連隊指揮所に連絡が入った。指揮統制装置は車高よりも深く地面に掘った壕に乗り入れ、上に厚く土嚢を積んであるので銃弾くらいなら問題はない。しかし、アンテナを露出している中継通信装置が破壊されて三沢基地の北部航空方面隊指揮所・防空指令所とは連絡が取れないのでこの編隊は彼我不明だ。
「ロシア軍機が逃げ始めました。自衛隊機のようです」続いてレーダー装置の若手幹部は興奮した声で報告してきた。国後島を発進したロシア軍機を疑っていた3科長と運用訓練幹部は安堵の溜息をついた。ただし、国後島に戦闘機が配備されていると言う情報は入手していない。
「自衛隊機がミサイルを発射しました・・・全機撃墜しました」おそらく三沢基地の防空指令所では「ビンゴ、ビンゴ」と連呼しているはずだ。これで航空自衛隊は先ほどロシア軍機に全滅させられたタンゴの仇を同じ手段で返り討ちにしたことになる。
「三沢の戦闘機が武装転換したんだろう」「随分早かったですね。流石は熟練した隊員の仕事です」3科長と運用訓練幹部は第3地対艦ミサイル連隊としては大きな被害を受け、戦死者も出ているのだが同じミサイルを取り扱う部隊として戦闘機の武装転換に要した時間を冷静に評価した。今回は爆弾と違って空対艦ミサイルのASMー3から空対空ミサイルのAAMー9Xへの転換だったため同じハードポイント(装着部)での交換で済んだ。
同じ頃、千歳基地では新千歳空港に着陸して滑走していた旅客機が爆発して飛散してきた部品の収容に着手していた。発進準備に当たっている飛行隊と装備隊武器小隊員、補給隊燃料小隊員を除く基地の全隊員が動員されて滑走路の清掃を開始した。
「大型機でなくて助かったな」指揮官の飛行場勤務隊長はパイロット同士で親しい第2航空団防衛部長と話し合っていた。爆発した旅客機は搭乗者数100人未満のリジョーナルと呼ばれる小型機だった。それでもジェット機では滑走中のタイヤのバースト(破裂)だけでなく金属片や固形物をエンジンが吸入して爆発するフォーリング・オブジェクト・ダメージ(FOD=異物吸入破損)の恐れがあるため滑走路の念入りな清掃を実施しなければならない。
「その小型機がここまで爆発したと言うことは事故や民間人の犯行ではないな」「軍用の爆発物と言うことか」防衛部長の見解に飛行場管理隊長は厳しい顔をした。爆発した位置は空港の北端と基地の南端が重なっている空港側の滑走路でも空港ターミナルの手前のノース・エンドのようだが平行した滑走路には1キロ程度の間隔があり、燃料の発火による事故や民間人が市販品を使って作った爆発物では不可能だ。
「それにしても北海道は道北と道東の道民を強制避難させているのに何で韓国への団体旅行を認めたんだろうか」飛行場勤務隊長はパイロットが作成する飛行計画を取りまとめて国土交通省航空局に提出するため民間航空機に関する情報を閲覧することも容易で、爆発した旅客機が所属する航空会社や運航の発注元も確認していた。
「どうやらA日新聞が避難生活で退屈している住民の気晴らしに安価な団体旅行を募集したらしい。元々北海道は戦時中に朝鮮半島で募集した小作人や炭鉱夫の残留者が多いから韓国旅行の人気が高いんだ」「それで誰かが千歳基地を狙ったんだな。軍が絡んでいるとなると日本人じゃあない。だから空港と基地の滑走路が別なのは知らなかったと言うところだ」防衛部長は情報も担当しているので今回の事件とは別に異常な兆候として情報を入手していたようだ。確かに日本人工作員が千歳基地の戦闘機を破壊しようとした時にはガソリンを格納庫に流し込んで放火しようとした。それに比べれば格段に本格的だ。韓国の空港関係者にも日本の国土交通省労組のような反日活動家がいれば貨物に爆発物を紛れ込ませることは可能だ。
「隊長、滑走路清掃完了しました。回収物の金属片はボルトが8個、金属断片が123個、ガラス片が大小96個でした。それとは別に犠牲者の指や歯、骨片も発見しましたので衛生隊に渡しました」そこに作業を監督していたAO(飛行場当直)のパイロットがフォローミー車(車体の屋根に「フォローミー=俺に着いてこい」の看板を掲げている)で戻ってきて報告した。
「これで滑走路は使用可能になった」「よし、緊急発進だ」「ロシア機は三沢が自前で仇討を終えました」防衛部長は肩から提げている無線機で防衛部運用班長に指示を与えるとすでに返り討ちは終わっていた。結局、千歳基地の滑走路は救難隊のUー125救難捜索機が最初の利用者になった。救難機に襲いかかったロシア軍機はCAPのFー15の4機が撃墜していた。
  1. 2023/03/26(日) 15:15:31|
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