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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月29日・労働基準法の原点・工場法が公布された。

敗戦後の学校教育や映画、ドラマ、小説などでは戦前の財閥は中世ヨーロッパの貴族のような社交と贅沢な生活にうつつを抜かし、労働者は徹底的に酷使・搾取されていた暗黒社会であったかのように歴史を歪曲していますが、大正にもならない明治44(1911)年の明日3月28日に戦後の労働基準法の原点と言うべき工場法が公布されました。
工場法はイギリスのジェームズ・ワッドが動力機械の蒸気機関を発明したことによる産業革命の結果、それまでの人間や馬や牛などの生物による動力では疲労回復や食事のための休息を必要としていた工業生産の連続稼働が可能になり、規模も家内事業から工場へと拡大したので蒸気機関に燃料の石炭を投入し、機械を操作し、作業をする人間が酷使されるようになりました。実際、1800年代前半のイギリスでは子供や女性も主に繊維工場に雇用されて1日12時間以上の労働を強いられていて、産業革命の伝播によってそれがヨーロッパ全土に拡大してカール・マルクスが共産党宣言や資本論で述べている「資本家による労働者の搾取」が事実として繰り広げられていたのです。
これに対して各地で労働争議が頻発するようになり、産業革命発祥の地として最も近代工業化が進んでいたイギリスでは火種の規模が大きいだけに国家としての危機意識が強く1833年に最初の工場法を制定して「9歳未満の児童の労働は禁止、9歳から18歳未満の児童・少年の労働時間は週69時間以内」の制限を加え、工場経営者の違法・脱法行為を取り締まるための監察官を設置しました。その後、工場法は1844年に「女性労働者の労働時間を18歳未満の若年労働者並みに短縮する」、1847年に「若年労働者と女性労働者の労働時間を1日当たり最高10時間に制限する」、1867年に「繊維工場だけでなく50人以上の工場を適用対象とする」、1874年に「週56時間労働の実現=月から金曜日が10時間、土曜日は6時間」と次々に改定されました。
一方、日本では明治14(1881)年に農商務省が内務省から独立したのを契機にヨーロッパの工場法の研究に着手して明治20(1887)年に工場経営者に対して「年少者の就業制限」「義務教育未修了者と非免除者を通学させる義務」「16歳未満の見習工に読書、習字、算術=読み書き算盤を教授する義務」などを課した法案を策定しましたが、業界から「有害無益な翻訳趣味」と反対されて国会に提出されることはありませんでした。ところが日清戦争の賠償金で八幡製鉄所をはじめとする近代的な大規模工場が建設されると工場労働者が急増し、明治30(1897)年に労働組合期成会が結成されたのを受けて政府も工場法の制定に動き始めましたが、利益追求に躍起になっている業界の反対は根強く、結局、日露戦争後の明治42(1909)年に提出した法案の修正案=妥協の産物が貴族院で可決されてこの日に公布されたのです。
それでも内容としては「常時15人以上の職工を使用する工場」を対象として「12歳未満の者の就業禁止」「15歳未満と女子の1日12時間以上の就業と午後10時から4時までの深夜就業の禁止」「業務上の傷病者や死亡者の遺族への扶養義務」「健康診断の実施」などが規定されていましたが業界の反発を受けて何度も骨抜きにされていきました。
  1. 2023/03/28(火) 14:23:57|
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