「こちら大隊FDC、対TOT、B号発動」柏崎市の郊外の山林に展開している東部方面特科連隊第2大隊では海岸に乗り上げて戦車を上陸させているロシア軍の揚陸艦に砲撃を加えようとしていた。石田首相は原子力発電所への誤爆撃・誤着弾を懼れてFー2による空襲と特科の砲撃を禁止したが陸上幕僚長は釜田防衛大臣の承認を得て実施を指示していた。FDCは射撃指揮所、対TOTは統制射撃による同時弾着のことだ。山林では樹木が根をはっているため火砲や弾薬を埋設する深さの陣地を構築するには苦労するが、上陸前のミサイルと艦砲射撃で損害を受けなかったのはその成果だった。その点、上越市に展開している富士特科教導隊は19式装輪自走榴弾砲なので攻撃終了後に移動して配置についているはずだ。
指示を受けて第2大隊の2個中隊は訓練と演習の通りに射撃準備を始めた。隊員たちは命中弾を受けて誘爆した時、被害が1箇所に留まるように深く堅牢に構築した貯蔵壕から重い砲弾を引き上げ、担いで砲座まで運んでいく。砲座も空と地上から見えないように山林の前面ではなく上方に枝を広く伸ばして葉が茂っている木1本分奥に設けている。
「各砲、RAP弾使用、方位5505、射角264.10回連続発射」分隊長の1曹は各砲の指揮官が木立に隠れているのを手で指図して移動させながら号令をかけている。RAP弾と言うのは推進装置を内蔵して射程距離を伸ばす砲弾で特科大隊が使用しているFH70であれば通常砲弾の24キロを30キロに延長できる。方位と射角の数字は特科で使用している円周の360度を6400等分した1単位を1ミルとする特殊な数値での角度の指示だ。1ミルずれると1キロ先では1メートルすれる計算になる極めて精密なものだ。
「射撃準備よし」「射撃準備よし」「射撃準備よし」・・・「サンヒトフタ、射撃準備よし」分隊長は各榴弾砲は地面に埋もれて見えないので陣地の後方に立った指揮官が右手を上げたのを確認すると有線電線で第3中隊第1小隊第2分隊の射撃準備の完了を報告した。
「射撃10秒前、9、8、7、6、5、斉射よーい、撃て」「撃て」ドーン。山林から一斉に砲焔が噴き出し、砲声が響き渡り、野鳥が一斉に飛び立った。実は熊や鹿、猿、狐に狸、兎と栗鼠などの動物も逃げ出したのだが戦闘中の自衛官には目撃者がいなかった。
「第2回、射撃準備よし」「射撃準備よし」「射撃準備よし」・・・初弾を発射すると隊員たちはこれも演習と訓練の通りに空薬莢を除くと次弾を装填して2回目の射撃準備を進めている。ロシア軍が発射位置を特定して攻撃を加えてくる前に痛撃を与えなければならない。ロシア軍の戦闘機は航空自衛隊との空中戦でミサイル、弾薬、燃料を消耗したようで上空にはいない。大日原演習場を空襲した攻撃機も任務を終えて帰ったが間もなく新手が襲来するはずだ。
「最終弾、だーんちゃく今」ロシア軍の反撃を受ける前に10回の連続射撃を終えることができた。人口8万人弱の柏崎市内でも駅周辺と海水浴場のホテルは観測点になるような高層ビルだったが全て攻撃で破壊された。そのため大隊本部はレンジャーの観測要員を小型車両で市街地の西南の断崖になっている海岸線に潜伏させていた。
「最終弾までの戦果、揚陸艦2隻に1発ずつ命中、2隻とも火災が発生して消火中。海岸の戦車の駐車場に6発命中、戦車少なくとも10両に損害を与えた模様」観測員の報告は大隊本部のFDCから各中隊の指揮所経由で各分隊に伝達された。通常の野戦特科の演習では状況開始から先ず陣地構築、完成した陣地の中で待機した後に模擬射撃(実弾射撃場の射座には陣地を構築できないため演習では動作のみになる)が入り、それから迅速に撤収して移動、新たな陣地を構築する陣地転換と言う流れだ。しかし、この状況では撤収中に艦砲射撃を受ける可能性が高く判断に迷うところだ。陸空自衛隊ではマスコミなどに組織の縮小と説明できるため東部方面特科連隊のように現地に部隊の機能を維持しながら本部機能を統合する手法を常用しているが連隊長の1佐と大隊長の2佐では経験に基づく判断力に少なからぬ格差があり、一般的には「やるかやらないか」を決断する時、1佐は腹を括って前に踏み出し、2佐は尻込みして後退さると言われている。平時の書類上の利点では計れない戦力の低下を招くことがあるのだ。
「ロシア艦がミサイルを発射、もう1発、3発、4発」案の定、観測員は警報を発してきた。この事態を防ぐことはできなくても妨害するために射撃を継続して届かなくても艦艇の近くに砲弾を射ち込んで心理的に混乱させるべきだったのかも知れない。そこを戦果の確認の優先した大隊長の判断はやはり指揮官としての器量の違いだろう。
「ミサイル、低空を飛行して陣地の方向に進みます。速度が上がりました」ロシア軍は艦対艦ミサイルを発射した。巡洋艦は海底に座礁しなように喫水以上の水深がある位置までしか接近していないが、ミサイル本体が噴射する4つの火焔が海上で速度を上げながら目の前を通り過ぎていった。数秒後、先ほどの砲声よりも大きな爆発音が4回響いてきた。
- 2023/04/10(月) 14:37:10|
- 夜の連続小説9
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