4月5日にムツゴロウの仇名で親しまれた動物学者で野僧も愛読していたエッセイとノンフィクション作家の畑正憲さんが亡くなったそうです。87歳でした。
畑さんは昭和10(1935)年に福岡県福岡市で医者の息子として生まれました。戦前に父親が満洲の開拓集落に派遣されたため狼と犬の雑種を飼い、広大な大地で多くの野性動物や野鳥の生態を目の当たりにした経験などで動物に関心を持つ素養が養われたようです。戦時中には受験のため帰国する兄と一緒に父の実家の大分県日田市に預けられたことで今度は満洲とは逆の山間部での生活を体験することになりました。
日田高校から東京大学理学部に合格すると父は医学部に進むことを希望しましたが、本人は文学部に転籍して哲学科に進むかで悩んだ末に動物学を専攻しましたがアメーバーの生理的研究に携わることになり、大学院に進むと日本の動物行動学の最高権威の教えを受けますが本人は文学への志望が立ち難く、研究室に出なくなってしまいました。
その後、学研に学習映画の製作担当者として就職しましたが個人として執筆した「われら動物みな兄弟」を他社から出版したことが問題になって退職することになりました。なお、ムツゴロウと言う仇名は学研時代に「徹夜で仕事をしている顔が似ている」とつけられたそうです。
退職後は中学校の同級生と結婚して儲けた娘が幼い頃から動物に触れさせながら育てたところ魚の命奪って食べることさえ拒絶するようになってしまい、表面的な動物好きの精神性の脆弱性を自覚して「自然の中で生活することでより深く生命の本質を見極めさせたい」と北海道東部の厚岸郡浜中町から600メートル沖の東西2キロ、南北700メートル、標高59メートルの無人島に移住して昭和47(1972)年に「ムツゴロウ動物王国」を開設しました。ところがヒグマからシマウマまで放牧する「ムツゴロウ動物王国」は原則非公開だったためエッセイの読者が見学や就職を希望するようになると無碍に断り続けることもできず、昭和54(1979)年に中標津町に広大な牧場にログハウスを設置した「ムツ牧場」を開業することになり、昭和55(1980)年から前述のテレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」の放送が始まると道東の観光名所になったのです。
この人気を受けて「都会の読者・視聴者にも動物に触れさせたい」と2004年に東京都あきる野市の遊園地内に9万平方メートルの「東京ムツゴロウ動物王国」を開園しましたが案の定、経営破綻して2007年に閉園しました。
畑さんは現実を無視した教条主義的動物愛護運動を主唱していたのではありません。残酷な場面を自主規制する報道に対して「海外で鳩や子羊を殺して食べている。そうした動物をつぶすシーンを放送するか。でもそれは社会に営みの一部、成り立ちそのもの。すなわち多様性をどう受け止め、感じるかと言う問題。一部の問題だけをクローズアップしていると全体を見誤ることになる。僕は行き過ぎた規制やそうした動きを民主主義の風化と言っているが、政治に留まらず社会全体がそうした風潮になってきていると思う」と危惧していました。全く同感です。愛読者として冥福を祈ります。
- 2023/04/11(火) 15:06:12|
- 追悼・告別・永訣文
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