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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ460

稚内に展開していた第3高射群がロシア軍が樺太から射ち込んでくる地対地ミサイルでPAC3、戦闘機や輸送機でPAC2を射ち尽くすと千歳基地に撤退したため警備に当たっていた森田謙作予備3曹も旭川駐屯地に帰ることになった。稚内分屯基地のレーダーが破壊されて派遣された第1移動警戒隊は隣りの猿払村にある鬼志別演習場に移動しているが、名寄駐屯地の第3普通科連隊の1部が陣地を構築しているため第52普通科連隊2中隊の即応予備自衛官には別の任務を与えられることになったようだ。
「森田3曹、俘虜収容所で勤務してくれ」「俘虜収容所って・・・」数日間、照子の実家の牧場で過ごして駐屯地に出勤した森田予備3曹に2中隊の2小隊長が新たな任務を伝えた。この小隊長は3尉候補者で任官して2尉で定年を迎えた予備自衛官だが曹長時代から小隊長だっただけに業務には熟練している。
「俘虜と言うのは捕虜のことだ。英語ではどっちも・・・キャプティブだが戦前の陸軍が俘虜と呼んでいたから公的にはこっちを使うらしい」説明しながら小隊長は一瞬、記憶を辿った。やはり英単語は説明用に調べたらしい。他にもプリズナー・オブ・ウォーと言う用語があるのだが「戦争による囚人」と言う表現には自衛官として嫌悪感を覚えたのかも知れない。
「それって何処にあるんですか」「江団別の小中学校に設置している」江団別は旭川市でも山間部の集落で江団別小中学校は市立の小中学校が市街地に集中している中で唯一遠隔地にあるから師団司令部の所在地に設置するには適当な場所だ。その一方で実家の牧場でも食材や日用品の欠乏に苦労していたので捕虜の処遇の確保が心配になる。
森田予備3曹は子供の頃から父の森田定年2佐がコレクションしているビデオで捕虜収容所が舞台の「大脱走」「戦場にかける橋」「ビルマの竪琴」「戦場のメリークリスマス」などを見て質疑応答していたので捕虜の処遇が戦争犯罪になることは知っている。実際、日本軍が対米英中戦争で設置した俘虜収容所ではオカズに海苔を出したことを「紙を食べさせた」と訴えられ、筋肉疲労を訴える捕虜に好意で灸を据えた兵士は「火傷させる拷問」として死刑になっている。しかし、開戦直後に東南アジアの日本軍の捕虜収容所を査察したジュネーブ委員会からはナチス・ドイツ軍やイギリス軍に比べて良好と評価されていたからこれも東京裁判で捏造され、敗戦後の亡国映画が喧伝した日本の戦争犯罪の1つのようだ。それでも第1次世界大戦の青島攻略で捕獲されたドイツ軍の俘虜4700人は日本国内16カ所の俘虜収容場に収監されたが、徳島県淡路島の坂東や兵庫県加西市の青野ヶ原では自治組織の活動やスポーツや芸術の趣味の奨励、地元住民との交流などジュネーブ条約以上の待遇を与えた一方で、久留米では所長の真崎甚三郎(皇道派の重鎮で2・26事件の首謀者)が俘虜を蔑視して劣悪な生活環境と苛酷な労働を容認し、監視兵による虐待を推奨したので必ずしも冤罪とは言い切れない。
「捕虜はどこで捕まってるんですか」「オホーツク海で撃墜されて脱出して漂流しているのを見つけて救助したパイロットが多いな。それから漁船で潜入していた斥候要員、それに網走に上陸した部隊で投降した兵隊も増えている」「パイロットなら幹部ですね。パイロットを士官にしているのは捕虜になった時に好い待遇を受けられるためだそうです」森田予備3曹の説明に小隊長は自分の人選が正解だったことを確認して満足そうにうなずいた。
森田予備3曹はその日のうちに他の捕虜収容所要員と一緒にトラックで江団別小中学校に移動した。この俘虜収容所の所長は旭川駐屯地司令の第2師団副師団長が兼務しているが、師団司令部も旭川市内の近文台演習場の陣地に移動しているため現場で管理・運営に当たるのは2小隊長のようだ。2中隊長は他の小隊が担当する任務があるため専任できないそうだ。
「本当は外柵上に蛇腹鉄条網を設置したいんですが陣地構築を優先しなければならないのでこのような貧弱な警備設備になっています」「学校の外柵は外からの侵入者を防ぐのが目的だからあまり脱柵防止の役には立たないよな」「この高さじゃあ熊と鹿除けだろう」江団別小学校では駐屯地業務隊の隊員が改修作業に当たっているがここでも資材不足が露呈している。俘虜収容所には定番の見張りの櫓は2階建ての校舎の屋上で代用するにしても本部にする職員室との有線回線を設置する野外電話機と電話線がない。おまけに校門に立哨する哨舎がないので取り敢えず竿に括りつけた市販のビーチ・パラソルだ。居室は教室につぶした段ボール箱を敷いて毛布と枕を配ったが、寝袋やシーツまでは手が回らなかった。食器は児童の給食用があったがシャワーは教職員用が1つしかない。
何よりも欧米の兵士たちは脱走を敵に人員と労力の負担を強いる戦闘行為と教育されているので躊躇することなく脱走を繰り返すはずだ。脱走を防止するために武器を使用することは合法だが、果たして1個小隊の40名で防ぎ切れるのか。
  1. 2023/04/16(日) 15:32:42|
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