最近、野僧の世代には初期の日活ロマンポルノ女優を紹介する雑誌などで清楚な容貌と揉まれると指が喰い込む美乳が魅力的だった片桐夕子さんが2022年10月16日に亡くなっていたことが明らかになりました。70歳でした。
片桐さんは昭和27(1952)年に東京都豊島区で生まれ、商業高校を卒業して銀行に就職しましたが、高校時代の昭和42(1967)年に公開された映画「007は二度死ぬ」で日本人の浜美枝さんがボンドガールになったことから「女優になれば憧れのマカロニ・ウェスタン(イタリア製の西部劇)の俳優・フランコ・ネロさんに会えるかも知れない」と退職して昭和45(1970)年に日活に入社したのです。
ところが当時の日本映画はテレビの普及と番組の充実だけでなく敗戦後の映画人がソビエト連邦の策謀に乗って娯楽性を無視した政治的な作品ばかりを製作してきたため経営が悪化していて中でも多くの人気俳優を抱えていた日活は危機的状況に陥って政治色だけでなく芸術性も放棄した究極の娯楽=低俗路線のポルノ映画の製作を決定しました。
こうして昭和45(1970)年の「新ハレンチ学園」で女優としてデビューしていた片桐さんは昭和46(1971)年にポルノ作品「女高生レポート・夕子の白い胸」で初主演を飾ったのです。ちなみに芸名の片桐夕子はこの作品の役名でした。
その後は昭和46(1971)年に2本、昭和47(1972)年に10本、昭和48(1973)年に9本のポルノ作品に出演しましたが、昭和49(1974)年にはポルノ作品3本の他に日活の普通の作品「妹」で主人公の兄の林隆三さんにトイレで強制性交されるだけの役、さらに東映の任侠作品「安藤組外伝・人斬り舎弟」に出演すると昭和50(1975)年にもポルノ作品5本と松竹の「おれの行く道」とATGの明治の上方落語の桂馬喬師匠の伝記作品「鬼の詩」で妻役を演じて本格女優に転換していきました。
それからは一般作品とポルノ作品を両立させ、20歳代後半になって体形の衰えが目立ってきた昭和55(1980)年の「ズームイン暴行団地」のオペラ歌手役を最後にポルノ映画からは引退しました。そんな中、1979年公開で1980年のアメリカのアカデミー賞に出品されたエキプト・シネマ作品「月山」や1982年公開の柳田國男先生の同名傑作説話集と阿伊染徳美さんの「わがかくし念佛」を原作とする日本ヘラルドの「遠野物語」など多くの映画作品やテレビ・ドラマに出演していて本格女優として順調に活躍し始めたのですが、日活の監督と結婚・離婚したことで1985年から3年間アメリカで生活し、そこで知り合った年下のアメリカ人と1989年に再婚して子供を産んだものの離婚して英語が堪能な女優として日米を往復しながら仕事を続けていました。
野僧が片桐さんの作品で一番好きなのは昭和48(1973)年のテレビ・ドラマ「子連れ狼」の「乞胸おゆき」ですが、この作品は内容ではなく題名の「乞胸」が被差別者を指すためインターネットでも運営会社の自主規制で非公開になっています。残念ながら野僧は片桐さんのポルノ映画は見ていませんがグラビアではお世話になりました。冥福を祈ります。それにしてもどうしてここまで公表が遅れたのでしょうか。

子連れ狼・乞胸おゆきの片桐夕子さん
- 2023/04/17(月) 16:27:16|
- 追悼・告別・永訣文
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