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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月19日・日本の医師の元祖・丹波康頼の命日

長徳元(995)年の明日4月19日は宮中の鍼博士(はりはかせ)として記録が残る医術書としては日本最古の「医心方(いしんぽう)」全30巻を永観2(984)年に円融天皇に奉呈したことで日本の医師の元祖とされる丹波康頼さんの命日です。
明治時代まで宮中や幕府の鍼博士・侍医・典薬頭の多紀家として存続し(「Jin・仁」に登場する公儀医学館総栽の多紀元琰さんなど)、昭和に入って俳優の哲郎さんを出した丹波家は丹波康頼さんが「医心方」を奉呈したことで朝廷から下賜された姓なのでそれまでの氏族は明確ではありませんが、渡来系の血脈を持ち、壬申の乱で大海人皇子=天武天皇の勝利に貢献した坂上氏とする説が有力です。また渡来前の大陸の系譜はキリスト教暦25年から220年まで続いた後漢の14人の皇帝の中でも傍流から即位して暗君第2位=ワースト2とされる第12代の霊帝まで遡る説もありますが、日本への渡来人の多くは中国皇帝の末裔を自称していましたから信用するに値しません。
丹波さんが務めていた「鍼博士」は大宝元(701)年に発布された大宝律令の医疾令と天平宝宇元(757)年の養老律令の医疾令に基づいて宮内省典薬寮に1名だけ置かれることになった従7位下相当の役職で30名の鍼生(はりせい)に鍼や灸、按摩を教育・訓練して検定試験で認定する職務も兼ねていました。初代は遣唐使で文宗皇帝の時代に留学した菅原梶成さんでした。
「医心方」は主に中国の「神農本草経」と「傷寒雑病論」と並ぶ古典的医術書の「黄帝内経(神話上の皇帝・黄帝の医術に関する質問に岐伯などの名医が答えている)」からの引用で医者の倫理に始まり、医学総論、各種疾患に対する療法、保健衛生、養生法、医療技術、医学思想、房中術(性行為の秘儀)を巻1に医学概論と薬名考、巻2は鍼灸編で孔穴主治(鍼や灸を施術するツボ)と施療、巻3に風病編(風の毒に当たって発症すると考えられていや疾病)、巻4に美容編、巻5に耳鼻咽喉眼歯編、巻6に五臓六腑、巻7に性病・諸痔・寄生虫編、巻8に脚病編、巻9に咳嗽編、巻10に積聚・疝か・水腫編(疼痛や浮腫み)、第11に痢病編(主に下痢)、巻12に泌尿器、巻13に虚労編(倦怠感)、巻14に蘇生・傷寒編、巻15に癰疸(腫れもの)・悪性腫瘍・壊疽編、巻16に腫瘤編、巻17に皮膚病編、巻18に外傷編、巻19と巻20に胆石編、巻21に婦人諸病編、巻22に胎教編、巻23に産科治療・儀礼(祈祷)等、巻24に占相編、巻25に小児編、巻26に仙道編、巻27に養生編、巻28に房内編、巻29に中毒編、巻30に食養編と詳細に解説していますが、内容的には黄帝内経を用いていた前述の鍼生に対する教育内容を文書化・編纂した解説書のようです。
その後、「医心方」は宮中で保管される一方で丹波家=多紀家で秘蔵・継承されましたが、正親町天皇が天文23(1554)年にもう1つの典薬頭・半井(なからい)家に下賜したため写本が広がりました。江戸期に京都の宮中と江戸の幕府で侍医を兼務した丹波家の秘蔵書が散逸していたため昭和57(1982)年に文化庁が半井家の正本を買い上げて国会図書館に収蔵し、現在は国宝に指定されています。
  1. 2023/04/18(火) 15:36:32|
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