「捕虜を戦時国際法違反で告訴するってか」「我が国も批准しているハーグ陸戦の法規慣習に関する規則の第1条及び捕虜に関する1949年8月12日ジュネーブ条約の第4条違反の戦争犯罪です」航空自衛隊の傍受要員を通訳にして網走で投降した捕虜8名の取り調べを終えた第119地区警務隊長の増田2佐は刑事訴訟法の司法警察職員として立件・告発の手続きのために札幌地方検察庁に赴いた。北海道内には7つの支部があるが道央の岩見沢、道西の滝沢は札幌地方裁判所の支部と共に閉鎖されている。
「それで告発事案は何だ」「標章の未装着です」「何だって・・・」警務隊長の説明に検察官は呆気にとられて机の上に差し出された茶封筒を開いて書類を速読した。そこには網走刑務所で盗んだ黄緑色の囚人用工場衣を着た捕虜たちの写真が添付されている。
「これだけなら罪状は軽犯罪法1条の15項、標章等の窃用にしかならんだろう。『官公職、位階勲等、学位その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し、又は資格がないにも関わらず法令により定められた制服若しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作った物を用いた者』だ。あとは刑法第36章の窃盗及び強盗の罪、第235条の窃盗罪、『他人の財物を窃取した者は窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処す』」検察官は司法試験に合格した記憶力を誇示するようにスラスラと条文を暗唱した。ここに来る前に下調べしてきた警務隊長は検察官の機嫌を損なわないように黙って聞いていたが腹の中で「数年前に定年退官した警務幹部OBの某2佐も司法試験に合格している。現在は国際刑事裁判所の次席検察官だ」と呟いていた。
「日本国内では説諭(口頭注意)で済ませるような軽犯罪でも戦争法では重罪なんです。この戦闘員の条件が守られなければ戦闘員と文民が識別不能になって文民保護が阻害されます。先ず囚人に変装していると判断すれば諜報活動と看做して厳罰に処することが許容されます。ロシア軍が囚人服を着用しての戦闘行為を常態化すれば自衛隊としては同じ服装の囚人を敵と識別せざるを得なくなり、武力行使の対象になります」「現在の自衛隊の武器使用は警察官職務執行法の範囲内で容認されているんじゃないか。対象者の識別は基本動作のはずだぞ」この口振りを見ると検察官は自衛隊の警務隊が経験がない新たな仕事を持ち込むことを避けたいらしい。確かに北海道ではマスコミと共謀した弁護士たちが私有地に自衛隊が陣地構築することを阻止するための民事訴訟や強制避難に伴う損害賠償請求、自衛隊の武器使用の刑事告発を続けているため検察官も多忙を極めている。それでも日本では日本国憲法第76条で「特別裁判所はこれを設置できない」と否定されているため戦争法で戦闘員の司法機関としている軍事法廷は設置できない。日本では2・26事件の反乱将校たちの多くを銃殺刑にした弁護人なし非公開の特別法廷や戦地での軍規維持を目的として厳罰を常態化させていた判決から不条理な暗黒裁判と思い込んでいるが、実際は軍事行動の特殊事情を勘案して戦争法や国内法、軍規の違反度の軽重を判定するため戦闘員=軍人にとっては軍事法廷の方が有利なのだ。
「それでは受理はしておくが裁判の日程が詰まっているから起訴する時期は約束できないよ。戦時国際法では重罪でも国内法では軽犯罪なんだ」「はい、お願いします。それでは旭川の俘虜収容所は拘置所を兼ねることにします」江団別俘虜収容所から申し立てられた法的措置を終えて警務隊長は安堵したように補足した。おそらく起訴はしないまま捕虜交換で帰国させることになるだろう。下手すれば北海道をロシアに奪われれば投降したことを軍規違反としてロシア軍の軍事法廷に掛けられるかも知れない。
「戦闘中のロシア軍の殺傷行為を殺人罪と傷害罪で告発すると言うのか」「はい、我が国は防衛出動を発令していない以上平時です。したがって通常の国内法で禁じられている不法侵入、武器使用、器物破損、道路交通法違反、船舶法違反、そして治安出動している警察職員に対する武力行使、全て違法行為ですから捕虜ではなく犯罪の被疑者として逮捕、拘束したいと思います」数日後、同じく航空自衛隊の傍受要員の派遣を受けて捕虜の取り調べを終えた帯広の第121地区警務隊長の伊倉2佐が同じ用件で訪れた。ところが申し立てた見解は全く違った。検察官としてはこちらの方が共感・納得できる。その一方で対米英中戦争中、東海軍管区司令官だった岡田資中将は多くの文民が居住する大都市に対するアメリカ軍の無差別爆撃を重大な戦争法違反と断定し、脱出して拘束したBー29爆撃機の搭乗員を実行犯として処刑した。このため敗戦後にB級戦犯として有罪判決を受けて昭和24年9月17日に吊首刑を執行されたが、同様の認識を持ってアメリカ軍の搭乗員を殺害して敗戦後に刑死した日本の軍人は多い。検察官はここでロシア軍にとっては正当な戦闘行為を犯罪として刑事告発すれば日本が敗れた後、戦争犯罪者として断罪されないか大いに不安になった。
- 2023/04/19(水) 15:02:40|
- 夜の連続小説9
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