1小隊長は4個分隊を3つに分け半分の2個分隊を降伏したロシア兵の拘束、1個分隊を周辺の警戒、残りの1個分隊は道路上で2小隊の生存者が実施している負傷者の救護に合流させた。駐屯地の医務室から派遣されている衛生隊員は中標津中学校の中隊本部に残っている。
「ギブアップするか」するとロシア兵の拘束に当たった分隊長が訳が判らない英語で声をかけた。どうやら「降参するか」と言いたいらしい。しかし、英語で「降伏」は「サレンダー」であって「ギブアップ」では「(私を貴方に)進呈します」と言う意味になってしまう。何よりもロシア人にとって英語は学校で習う外国語なので日本人と大差がない。
「手榴弾を持ってるぞ」「危ないところだったな」段差の下では2個分隊が分隊長の英語が通じたのか不明のまま拘束の手順を始めた。分隊長2名が小銃を構える中、陸士5名がロシア兵が足元に放り出した小銃を集めて周り、陸曹は手で背中を押して地面に伏せさせると背中を膝で押さえて身体検査を始めた。先ず銃剣を提げている弾帯を外して手で上衣のポケットを確認すると腰の左右のポケットには1個ずつ手榴弾が入っていた。ロシア兵は最初に指揮官を射殺したので手榴弾を投げたのは自己判断になる。やはり戦場での人間の心理は理解不能だ。
「2小隊の生存者は何名だ」「今から確認します。2小隊、集合」1小隊長はロシア兵と自衛隊員の遺骸が散乱している道路上で生存者を捜し、見つければ敵味方に関係なく救護している隊員たちの様子を眺めながら2小隊1分隊長の古参陸曹を見つけて声をかけた。すると陸曹は生存者を捜すことに熱中していたようで我に返って大声を出した。
「2列横隊に整列、気をつけ。右にならえ。直れ。動けない生存者は人員確認後に申告しろ。番号、始め」「1、2、3、4、5・・・」古参陸曹の指示で集って来た2小隊の隊員たちも『気をつけ』の号令で意識が戻ったようでそこから先の動作は自衛官だった。
「10」「1欠」10名で2列横隊の最後尾は後列が欠員になっていた。つまり指揮官になった古参陸曹を加えれば1個小隊の半数を切る20名と言うことだ。それを確認した古参陸曹は全員を見回した後、重い口調で声をかけた。
「生存者を申告しろ」「近松2曹が手榴弾を蹴ろうとしたようで右足を失っています」「意識は」「あります。激痛に耐えています」「佐藤3曹が背後の全身に破片を浴びて出血が止まりません。意識はあります」「村田士長は顔に破片が当たって両目と鼻が傷つきました」「酷いのか」「もう両目は見えないでしょう。鼻も欠けてしまいました。頬も裂けて歯が見えています」この会話を聞いて1小隊長は出入りする保険屋の小母さんたちの間でもイケメン=色男と評判だった村田士長の男も認める端正な顔立ちを思い浮かべて唇を噛んだ。
「小隊長は・・・」「あちらで亡くなっています。先任も隣りで一緒に死んでいます」古参陸曹の確認に若い3曹が横隊で道路を横断していた小隊の中央付近に折り重なって倒れている数体の遺骸を手で示すと後列は一斉に顔を向け、前列は揃ってうつむいた。
「気をつけ、第2小隊、列外8名を除き松村1曹以下20名集合終わり。列外者は池永1曹、近松2曹、佐藤3曹、山下3曹・・・」「個人名は後で報告しろ。作業再開」古参陸曹の報告を受けて1小隊長は救護の再開を命じた。道路上でロシア兵の生死の確認と救護に当たっていた2小隊の47名が10発以上の手榴弾を投げ込まれた後に銃撃を浴びたのだが、その割には半数以上が生き残ったんのは奇跡に近い。やはり最初の手榴弾を発見した時点で陸曹たちが「その場に伏せ」の号令をかけ、全員が反応したおかげだろう。死亡、負傷したのは至近距離で手榴弾が炸裂した者ばかりで運・不運の問題だ。銃撃も段差の下から身を乗り出して発砲しているので手榴弾による負傷者を救護に向かっていた隊員だけが損害を受けた。
「273本、273本、こちら2731(ふたななさんひと)、2731、感明送れ」「こちら273本、安藤だ」1小隊長が無線で中隊本部を呼び出すと中隊長の安藤3佐が出た。中隊長への報告は迫撃砲による掩護射撃の最終弾着以来になっている。
「国道272号線を中標津に向かって徒歩で移動中の200名の敵部隊を制圧しましたが双方に戦死者、負傷者が多数出ました。2小隊長の戸田3尉も戦死しました」「そうか・・・残念だ」中隊長の重い返事に1小隊長は長めの間を置いた。
「我が方の負傷者は重傷が8名、ロシア軍は重傷が4名、捕虜が73名です。移送のためにトラックと衛生隊の派遣を要請します」「捕虜か・・・多いな」今度は中隊長の声がかすれた。重傷者12名を移動させるのは衛生隊のアンビランス(軍用救急車)でなければ無理だ。日本軍であれば自決用に手榴弾を渡して置き去りにするところだ。一方、捕虜は矢臼別演習場の第5旅団司令部に引き渡すのが基本だが人数が多く一般的な73式3トン半トラックなら4台必要だ。訓練幹部を兼務する1小隊長も会戦後の処理を演練したことがない。
- 2023/04/24(月) 15:28:28|
- 夜の連続小説9
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