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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月20日・オキナワン・ロッカーの代表・川満勝弘さんの逝去を悼む。

4月20日に沖縄のロックン・ロールの創始者の1人・川満勝弘さんが沖縄市の自宅で急逝したそうです。78歳でした。
野僧の時代の蒲郡高校には生徒のフォークとロックのバンドが10以上あって、フォーク組はシンガー・ソングライターを気取って作品をヤマハのポプコンに投稿していましたが、ロック組は1972年に結成して1975年に解散した矢沢栄吉さん、ジョニー大倉さんのキャロルや1975年に舘ひろしさんや岩城洸一さんが結成して現在も続いているクールスを崇拝していて9月下旬の文化祭では暑い中、皮ジャンを着て熱唱していました。そのため野僧も耳で日本版ロックを憶えてしまいましたが歌謡曲のようにスローテンポで口ずさんでみると妙に演歌調なのに気づきました。
そんな野僧が就職家出して沖縄に赴任すると毎週末には飲み屋に行くようになり、そこで明らかに日本人が唄っていても高校時代に聴いていた日本版ロックとは全く異質で、むしろ本場アメリカのロックン・ロールに近い曲が有線放送で流れていました。
そのバンドの曲が流れるとシマンチュウ=沖縄県人の客たちが一緒に唄い始めるため興味を持って話を聞くと「コンディション・グリーンと言う本土復帰前の1971年に結成されたバンドで川満勝弘と言う宮古島出身のボーカルだ」とのことでした。その時、バンド名の「コンディション・グリーンはアメリカ軍の5段階の警戒レベル=ディフェンス・コンディションのうち外出禁止になる下から2番目のことだ」と説明を受けましたが、アメリカ軍と共通の航空自衛隊では段階に色を用いていません。
コンディション・グリーンの本場ロックン・ロールはベトナム戦争当時、出征するアメリカ兵たちが不安を忘れて熱狂したそうなので魂を揺さぶる力があったようです。その一方でコンサートに行った先輩の話ではステージ上で生きたハブの頭を喰い千切り、胴を振り回して血を客席に飛び散らすなど常識を外れた演出があったそうです。
現在の日本のマスコミは1995年9月に発生した在沖縄アメリカ軍の海兵隊員と海軍軍属が小学6年生の少女を強姦した事件を亡国県知事・大田昌秀が利用した抗議集会に主催者発表で8万5千人が参加して以来、普天間基地のヘリ墜落事故、辺野古移設反対運動などに参集する人数(実際は職業化している人間が大半)を過大評価して沖縄県民は「反米」と決めつけていています。そのため2018年にDA PUMPが「U.S.A」を唄った時もテレビ各局の報道バラエティー番組では「沖縄のグループなのに何故」と疑問を呈していましたが、昭和の沖縄では県民の大半が復帰前に生まれた元アメリカ人で本土を介さずにアメリカ文化に親しんでいたのでロックやポップスも本場直伝だったのです。それが根づいているからオキナワン・ポップスが生まれたのであり、そもそも昭和54(1979)年に「アメリカン・フィーリング」を大ヒットさせたサーカスも沖縄出身です。
川満さんはコンディション・グリーンが解散した後は沖縄市内でバーを経営していましたが、2009年に閉店を宣言して実際は2012年まで営業していたそうです。懐かしさを込めて冥福を祈ります。南無ミルクユガフ
  1. 2023/04/27(木) 15:50:35|
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