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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ482

「モリヤ中佐は軍人と弁護士を兼務していたんだね」「はい、日本は憲法で軍事法廷が否定されていますから軍人の職務事案も一般法廷で審理されるんです」私は河瀬1佐との面談を終えて国際刑事裁判所の執務室に戻ると後任のベルジディーン・アマル・モンゴル陸軍憲兵大佐との引き継ぎを再開した。国際刑事裁判所は同じスフラーフェン・ハーグにある国際司法裁判所と違って国際連合の組織ではないのでハーン首席検察官はアジア圏には日本、韓国、アフガニスタン、バングラデシュ、カンボジア、モンゴル、東ティモール、タジキスタン、モルディブ、ヨルダン、パレスチナの11カ国しかない国際刑事裁判機構の加盟国から選んだようだ。それにしても世界124カ国の加盟国のうちヨーロッパは41カ国、南中北アメリカは29カ国(北米はカナダ)、太平洋圏は8カ国、アフリカは33カ国に比べてアジアの11カ国は少な過ぎる。実はフィリピンも加盟していたのだが麻薬組織を撲滅するための市民組織・ナバオ・デス・スクワットをヨーロッパの人権団体が組織的殺人と刑事告発したためナバオ市長から就任したズテルデ大統領が脱退したのだ。確かにキリスト教の手前勝手な正義を唯一絶対として強要するための圧力機関になっているのも事実なので佛教やイスラム教、ヒンドゥー教の戒律に基づく独自の倫理道徳を堅持しているアジア諸国にとっては関わるに値しない組織なのかも知れない。しかし、国際社会の法秩序を成熟させるためには背を向けていては駄目だ。
「ベルジディーン大佐は軍事法廷で検事を務めてきたんですね。起訴状の起案が手慣れています」「英語にはあまり自信がないけどね」私の素直な賛辞にベルジディーン大佐も素朴に微笑んだ。オランダに来て以来、梢以外はヨーロッパ人とアフリカ人に囲まれて暮らしているのでアジア人の基準とされるモンゴル人の顔は懐かしいのと同時に妙な違和感があった。
「モンゴルはソビエト連邦に実効支配されてきたから私の生徒・学生時代はロシア語が必修外国語だったんだ。それも2000年代に入ってロシア語と英語の選択制になったが必要性は中国語の方が高いからあまり普及していないな」「なるほど。ロシアと中国はどちらもモンゴル帝国に支配されたから仇討ちに支配を狙っているんでしょう。その点、日本は島国だからフビライ・ハンの2度の侵攻も台風に助けられました」「フビライ・ハンか・・・元の皇帝だったな」ベルジディーン大佐の返事が曖昧なので毎度の悪癖で元寇の歴史講座を始めようと思ったが今日は日本大使館に呼ばれて時間を浪費しているので控えた。
「それでも日本の大相撲で活躍しているモンゴル力士たちの日本語は見事でしたよ」「キョクシューザンの活躍と勧誘でフテチ(モンゴル相撲の力士)たちの間で希望者が急増したんだ。キョクシューザンは『日本に行くには日本語が話せることが絶対条件だ』って講習会を開いていた。日本人が聞いて『上手い』と思ってくれるならダワーギーン・バトハヤルの手柄だな」武道家の私は肥満体同士の格闘技にしか見えない大相撲が嫌いだったが、引き締まった身体のモンゴル力士だけは応援していた。特に天衣無縫な言動と「技のデパート・モンゴル支店(本店は舞の海)」と呼ばれた朝青龍や本場所の内外を問わぬ所作と言動に日本人の横綱以上の品格を感じていた日馬富士は当時は一本3万円だった懸賞金を出して「自衛官募集中」の幟に土俵を1周させようかと思うほどのファンだった。しかし、2人とも大相撲を神道の行事と虚偽の宣伝を弄する相撲協会とマスコミの国粋主義によって抹殺されてしまった。そもそも大相撲は本来、神社の祭礼で興行していたに過ぎず横綱による神前の奉納土俵入りも後付けの儀式だ。大相撲を国技と呼ぶようになったのは昭和29年に東京都台東区蔵前に建設された大相撲の競技場を「国技館」と命名してからであくまでも自称なのだ。
「さっきのモンゴル語の名前は旭鷲山の本名ですか」「そうだよ。アルスラン(ライオンを意味するモンゴル相撲の最高位の称号)のアサショウリューはドルゴルヌレギーン・タグワドルン、ハクホーはムンフバッティーン・タワージャルガル」一度聞いただけでは憶えられそうもないがついでに贔屓にしている横綱も訊いてみた。
「日馬富士は」「ダワーニャーン・ビャンバトルシだね」モンゴルでは16世紀にチベット佛教を国教とするまで姓=氏族名はなかったがチベット式に父の名前(不在の場合は母)を家族名に代用するようになった。一方、中国領の内モンゴル自治区では中国式に一族の姓と個人名を漢字で名乗ることを強要され、ロシア領内では個人名と姓の間のミドル・ネームに父の名前を入れる慣習ができたらしい。これだけ中国とロシアの侵略を受け、民族としての伝統と文化を踏み躙られ続けてきたモンゴルの軍人であれば私以上に検察官としての職務に邁進するはずだ。仮に帰国した私が日本の一般法廷の審理ではロシア軍と中国軍の戦争犯罪を裁き切れないと判断して国際刑事裁判所に提訴すれば客観的に調査して厳正に事実を究明してくれるだろう。この人物を後任にしたハーン首席検察官の眼力には敬意を表さなければならない。
  1. 2023/05/08(月) 15:31:37|
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