「結局、今の日本は戦争状態なんですか」警務隊本部で自衛隊が武力衝突により身柄を拘束している中国軍とロシア軍の捕虜の供述調書と立件、公判の説明を聞いて統合幕僚監部運用1課に戻った私は課長に極めて素朴な質問をしてしまった。国際刑事裁判所から調査に来た時点では事実上の交戦を繰り返していた韓国軍と中国軍の捕虜は発生していなかった。その後、中国は個人的憂国行動と説明している呂論島への上陸で首謀者以下が投降して捕虜になった。続いて北海道に侵攻したロシア軍は補給を断たれて窮乏に陥り、投降する兵士が続出しているらしい。問題は現時点でも日本政府は国際連合安全保障理事会の懲罰決議や中国とロシアからの最後通牒を受けていないだけでなく外交関係を維持していて両国の在日大使館は「武力行使は軍がやっていること」とうそぶいて諜報活動を含む恒常業務を継続している。おまけに防衛出動を発令していないので平時であり、法務省も国内法で対応している。
「モリヤ2佐は平和なヨーロッパから帰国したからギャップが大き過ぎて目を疑うようなことばかりでしょう。我々は中国が尺取り虫のように事態を悪化させていくのに振り回されてきましたから特に疑問は感じませんよ」課長は苦笑と同情が入り混じった顔で答えた。課長は現職の1佐、私は退役した元2佐だが10歳以上の年長者であり。国際刑事裁判所の次席検察官、法務省の副検事と言う立場に敬意を払って対等な言葉遣いを用いている。
「確かに宣戦布告をせずに武力行使すれば1907年の開戦に関する条約に違反しますね。平時であれば入国手続きを踏まずに上陸した時点で入国管理法、武器を持っていれば銃砲刀剣類所持等取締法に違反する。人を殺せば刑法199条の殺人罪だから厳罰に処することはできる」「支那事変の時、関東軍は宣戦布告していないから戦時国際法は適用されないと言う論理で非人道的な戦術を繰り返しましたが逆説も成り立つんですね」流石に統合幕僚監部運用部運用1課長を務めている1佐ともなると戦史にも詳しい。支那事変で関東軍は昭和12年7月7日に盧溝橋事件が起こり、7月13日に北京の大紅門で日本軍のトラックが襲撃されて日本兵4名が死亡、翌日に士官1名が殺害され、7月29日に通州で日本軍守備隊と日本人居留民が200名以上殺害される事件が続発した後、8月12日に上海の日本人居留地が攻撃されたことを切っ掛けとして再発防止の自衛処置と称して国民党軍への攻撃を開始した。最近のマスコミが常用している「日中戦争」は東條英機政権がマレー半島上陸と真珠湾攻撃から4日後の昭和16年12月12日に蒋介石国民党政権に対する最後通牒と宣戦布告を決定してからだ。
「それでも中国は呂論島に上陸したのは兵士の私的憂国行動と言っている以上、刑事犯罪として処理されても文句はないだろうけどロシアは命令に基づく軍事行動だから戦争法の適用を要求してくるかも知れませんね」「そうなればシベリアで拘束された日本人の乗客を爆撃機や輸送機に同乗させて殺した戦争犯罪を国際刑事裁判所で告発してやりましょう」平時の日本の国内法であれば平時に自衛隊が外国軍機を撃墜した警察権の執行の合法性に始まり、事前に日本人が同乗していることを知っていたのかなどの戦争法では余計な問題で公判が紛糾しかねない。その前に日本人が殺害された証拠として軍用機に同乗していたことを示す映像や記録、遺骸や遺品が確認されなければならない。
「そう言えばモリヤ2佐は加倍内閣が安全保障関連法を制定した時にはオランダに行っていたんじゃあないですか」「そうです。日本の新聞は読みましたけどPKO法以上に反対一色でしたから眉に唾をつけながら読んでました。それでも新隊員課程の教え子が部内で幹部になっていて隊員教育の教案(レッスン・プラン=台本)の添削を頼まれたから資料はもらっています」「しかし、検察官としては不十分でしょう」ここで課長は私が警務隊本部に行っている間に用意していたらしい資料を入れたA4版の茶封筒を差し出した。中には安全保障関連法の条文のコピーが束になって入っていた。
「自衛隊法の改定かァ。こっちは国際連合の平和維持活動等に対する協力に関する法律、要するに国連PKO法だな。周辺事態に際して我が国の平和と安全を確保するための措置に関する法律(=周辺事態法)。重要影響事態安全確保法。周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律(=船舶検査活動法)。武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全確保に関する法律(=事態対処法)。武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律(=米軍等行動関連措置法)。武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律(=特定公共施設利用法)。武力攻撃事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律(=海上輸送規制法)。武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律(=捕虜取扱い法)・・・持ち返って熟読します。ありがとう」安川1尉から届いた資料は教育で説明する条文の抜粋だったのでこれは助かる。
- 2023/05/12(金) 15:24:24|
- 夜の連続小説9
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