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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月13日・探検家と言うより国際政治家・ナンセンの命日

1930年の明日5月13日は日本では「船で北極海を目指した探検家」と紹介されることが多いですが、実際は国際舞台で活躍してノルウェーの独立や国際連盟への加盟を実現し、現在も国際連合が継承している難民救援事業の基本形を作りノーベル平和賞を受賞した国際政治家のフリチョフ・ナンセンさんの命日です。68歳でした。
ナンセンさんは1861年にスウェーデン統治下のノルウェーの首都・クリスチャニア=後のオスロで弁護士の息子として生まれました。
その後、クリスチャニア大学に進学しましたが専攻は動物学で1885年には1882年に行った最初のグリーンランド水域の航海の経験を踏まえた寄生虫に関する研究論文を発表し、続いてイタリアで高名な内科医で病理学者の指導を受けて硬骨動物では最も原始的なヌタウナギの神経系を研究して1888年に動物博士号を取得しました。
ところが動物学者としての道を歩んでいくかと思いきや1888年から翌年にはスキーでのグリーンランド横断に成功して1891年にイギリスの王立地理学会から金メダルを授与されました。さらに1893年に北極遠征を実施すると氷の圧力に耐え得る構造の船舶であえて流氷に閉じ込められて海流に運ばれて北極点に到達する探検を計画して喫水線から下を半円形にしたプラム号を建造したのです。ちなみにプラム号は11歳年下のノルウェーの探検家・アムンゼンさんが譲り受けて1911年の南極探検で使用しました。
ナンセンさんはプラム号に8年分の燃料と6年分の食料を積んで1893年6月にクリスチャニア港を出港して北極海に向かい、9月には予定通りに流氷に固められて漂流を始めました。しかし、海流はナンセンさんが考えていたよりも遅く1895年3月の時点で士官と共にスキーで北極点に向かいましたが北緯86度14分まで迫ったところで携帯してきた食料が僅かになったため引き返しました。
結局、プラム号は北極圏内の帝政ロシア領の離島で越冬することになり、セイウチやアザラシを捕獲して食料を喰い伸ばし(加熱したため寄生虫の体内繁殖は免れた)、1896年の夏に氷海を脱出してイギリスの探検隊に遭遇したことで生還を果たしたのです。
帰国後はクリスチャニア大学の動物学と海洋学の教授になりますがスウェーデンからの分離・独立を目指す首相にベルリンやロンドンに派遣されて独立の承認を要請する特使になりました。この結果、外交官・政治家として活動するようになり、1905年に独立を果たすと1906年から1909年は駐イギリス大使としてロンドンに駐在しました。
1914年から1918年の第1次世界大戦ではノルウェーはスウェーデンが主導する北欧連合に加わって参戦しなかったにも関わらず戦後に創立した国際連盟に加盟するとナンセンさんは高等難民弁務官として第1次世界大戦とロシア革命による難民に「ナンセン・パスポート」と呼ばれた出入国証明書を発行し、退任後の1921年から1922年のソビエト連邦飢饉での外国支援機関の全権代表としての活動によって1922年にノーベル平和賞を授与されました。その手法は1932年と1933年のソビエト連邦領ウクライナの飢饉でも踏襲され、現在も国際連合に継承されています。
  1. 2023/05/12(金) 15:25:52|
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