続・振り向けばイエスタディ４８７

私はしばらく千代田区の最高検察庁に与えられた小部屋の執務室に出勤した後、市ヶ谷地区の陸海空自衛隊の警務隊本部に通う生活になった。宿舎は私の希望で陸上幕僚監部時代に住んでいた福生市の自衛隊官舎に近いマンションを借り上げてもらったので直接通えば生活習慣の復活になる。兎に角、私は東京都内のビルの直線で大空が仕切られている風景が我慢ならず、目の前に横田基地の広大な空間が見渡せる福生市以外に住む場所が思い浮かばなかった。住民票の登録は２人で市役所に行って済ませたが婚姻手続きを受理したオランダのスケベニンゲンの独立自体区役所が梢との関係を「夫婦」に変更していてくれたので英文の転出証明を受けつけた住民課の職員も事務的に処理した。福生市はアメリカ軍関係者が多数住んでいるので外国からの転入手続きと英文の読解に熟練していることが幸いした。
「北海道で投降したロシア兵は殺人を犯していないんですね」「北海道へのロシア軍の攻撃はミサイルと攻撃ヘリが中心で地上部隊が上陸した時には道知事の避難命令で住民は道南に疎開していましたから留守宅に侵入した空き巣のようなものでした」上陸したロシア軍が空と海からの補給路を断たれて窮乏したことが投降の原因とは聞いているが、対米英中戦争の太平洋諸島の日本軍守備隊のような飢餓状態に陥る前だったのはロシア軍に「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓がないからだろう。尤も戦陣訓は東條英機が陸軍大臣だった時に布告した精神教育資料に過ぎないので海軍には関係ないはずだが、東條が総理大臣になったため国家としての精神指導の理念＝国家神道の教義と化していたらしい。
「撃墜したヘリのパイロットは救助しなかったんですか」「八戸基地のＰー３Ｃがオホーツク海を南下する輸送船を攻撃に向かうのに随伴した三沢基地のＦー２の飛行隊が全滅させられると救助に当たる航空救難隊をロシア軍が攻撃してきたんです。その時は対空兵装に武装転換を終えた三沢基地のＦー２が撃破しましたが、ロシア軍のパイロットのために救難機を失うことはできませんから放置しています」「ロシア軍の救難活動は妨害していないですよね」「我が方は人道的な立場を堅持しています」航空警務隊本部の担当者は航空総隊司令部から詳細に説明を受けているそうでオホーツク海での航空戦闘の熱弁を奮った。つまり航空自衛隊としてはロシア軍の救難活動を放置していることを人道的な立場としているようだ。しかし、戦争法に航空規則がない以上、救難活動を妨害する非人道的な攻撃も戦争犯罪にはならない。
「海上自衛隊は東シナ海と日本海、陸上自衛隊も網走港で中国軍とロシア軍の輸送艦船を撃沈していますが生存者の救助は実施しましたか」折角、陸上自衛隊の警務隊本部に集ってくれているので航空自衛隊に続いて海上自衛隊の担当者にも質問した。私はイージス護衛艦・あまごと漁船の衝突事故の裁判に弁護士として参加したので海上自衛隊の友人は多かったが流石に大半は定年退官してしまったはずだ。
「東シナ海は対潜哨戒機だったので救助は不可能でした。海上保安庁の巡視船も攻撃を受けて海域から離脱したので同様です。日本海の・・・」「２度目の東シナ海は潜水艦だから無理だったよな」海上自衛隊の担当者が質問された通りに答えようとすると航空自衛隊の担当者が割り込んで情報を漏洩した。海上自衛隊の潜水艦・どんりゅうが東シナ海で中国の舟山軍港を出航した大型フェリーを撃沈したことは釜田防衛大臣が内局の呪縛を脱して陣頭指揮を執るようになるまで秘匿していた。石田首相にはまだ報告していない。
「現在の事態は公海上では戦闘ですから立派な戦果ですね。日本人は戦争と言う概念を関係する条約の規定でしか理解していませんが、今では最後通牒や宣戦布告を伝達してなくても組織的武力衝突が発生すれば戦争法が適用されるんです。そもそも戦時国際法と言う日本語は誤訳です。本来はウォー・ロウだから戦争法ですよ」「はい、我々もそのつもりで対処しています」私の解説に海上自衛隊の担当者は重い口調で答えた。オランダでも日本がインド洋から南シナ海・東シナ海の航路が中国軍の脅威に晒されたため中東の石油を紅海・地中海・大西洋を通ってアメリカに陸揚げして同じ量のアメリカ産の石油を西海岸から太平洋を横断して輸入していることは経済情報として報道されていた。おそらく太平洋航路でも中国海軍の脅威は受けているはずなので海上自衛隊は戦闘として対処しているのだろう。
「ところで北海道や新潟で戦死したロシア兵の埋葬はどうしてるのかね」「各地区警務隊が戦時国際・・・戦争法では土葬が原則だと周知したので空き地に埋葬しているようです。しかし、坊さんや神主、牧師まで避難してしまったので捧げ銃と葬送ラッパだけで葬式はやっていないようです」「民政党政権の指導を守っている訳じゃあないんだね」私の皮肉に東北地区太平洋沖地震の災害派遣を経験している陸海空自衛隊の担当者たちも唇を歪めた笑いを浮かべてうなずいた。空砲の弾丸を持っていないので弔銃はできないようだ。