1976年の明日5月15日は第2次世界大戦中のアメリカ海軍戦史部長として終戦後にイギリスの著名な戦史研究家から「第2次世界大戦の最高の文献」と絶賛された名著を発表したサミュエル・エリオット・モリソン少将=博士の命日です。88歳でした。
モリソン少将は1887年にボストンで1660年にイングランドから移住して多くの傑出した知識人を輩出してきたエリオット家出身の母親の息子として生まれました。
モリソン少年はニューイングランド内の名門私立学校に通ってハーバード大学に進学しました。ハーバード大学ではエリート学生の学内結社に参加して1908年に歴史学士の学位を取得すると1年間フランスに留学した後にハーバード大学に復学して1912年に博士号を取得してカリフォルニア大学バークレー校の歴史学講師になりました。カリフォルニア大学では博士論文を元に独立当時の実業家で政治家のハリソン・グレイ・オーディスさんの伝記を刊行して1915年にはハーバード大学に専任講師として迎えられますが、アメリカが第1次世界大戦に参戦すると陸軍で出征して1919年の講和会議では小委員会のアメリカ代表を務めています。
終戦後は1922年から1925年までイギリスのオックスフォード大学でアメリカ史の記念教授を務め、1925年にハーバード大学に戻ると教授になりました。この頃から生涯の研究主題になるニューイングランドの歴史に着目して1921年に「マサチューセッツの海洋史・1783-1860」を刊行し、1930年代にはニューイングランドとハーバード大学に関する著作を次々に発刊しました。そして1942年にコロンブスさんの伝記を発表して1943年にビューリッツァー賞を受賞しました。
こうして歴史研究者としての地位を固めていたモリソン教授は1942年に友人でもあったフランクリン・ルーズベルト大統領と面会した時、「海軍内からの視点で第2次世界大戦におけるアメリカ海軍戦史」の執筆と自らの従軍を提案したのです。1942年5月5日に予備役の海軍少佐に任命されるのと同時に召集を受けるとアメリカ海軍の活動を綿密に調査して膨大な資料を蓄積して終戦後の1947年から1962年にかけてアメリカ海軍の戦略と戦術から科学技術と人事までを網羅した「第2次世界大戦におけるアメリカ海軍作戦全史」全15巻を刊行したのです。中でも3巻の「昇る太陽」で1949年にコロンビア大学の学術賞・バンクロフト賞を贈られたのを花道として1951年8月1日に少将に昇任して退役しました。そして1959年のアメリカ独立戦争の英雄・ジョン・ポール・ジョーンズ提督(イギリスのネルソン提督、日本の東郷平八郎元帥と共に世界3名提督と称されている)の伝記で2度目のピューリッツアー賞を受賞しています。
モリソン少将の著作物は内容だけでなく文章の巧みさも高く評価されていますが、「アメリカの歴史家たちは事実をつたえようと熱望する一方でこれまでの仕事の文学性には無神経だった」と苦言を呈しています。野僧もアメリカ海兵隊の友人から借りて翻訳しましたが確かにモリソン少将の文章は論点の提起と根拠・解説の後の結論の流れが明解で理解が容易でした。それでも流石に文体・用語の優劣までは評価できませんでした。
- 2023/05/14(日) 15:45:42|
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