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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ493

「モリヤ2佐はどこの新聞を取っていますか」「3Kですが」「やっぱり・・・」数日後、戦況を確認するために統合幕僚監部運用部1課に顔を出すと会議から戻った課長が声をかけてきた。今日は陸海空の運用幕僚たちから説明を受ける予定なので不在でも問題なかったが先方に用件があったようだ。課長はドアの横の新聞架から一番手前のアルミ製ホルダーを取ると応接セットに座っている私に手渡した。それはA日新聞だった。
「その写真を見て下さい」「これは負傷者のようですが何の事故ですか・・・」A日新聞の1面には頭部に厚いガーゼを当て、露出している皮膚には生々しい火傷の跡が残っている日本人と思われ若者の写真が載っていた。視線を写真の上の黒地に白抜きした見出しに移すと「新潟で捕虜になった自衛官に取材」とある。今朝の3K新聞には全く載っていなかったのでA日新聞がフリージャーナリストから買った記事らしい。
「それは富士普通科教導連隊所属の3曹です。4日前に柏崎市内のロシア軍の宿営地に夜襲をかけて退避する時、至近距離に砲弾を受けて負傷したようです。蘇生措置も効果がなく意識不明のままで敵が迫ったので置き去りにせざるを得なかったと報告を受けています」記事の本文を読み始めた私に陸の運用幕僚が説明を始めた。どうやら記事を見た関係者が情報を寄せてきたようだ。当然、家族も目にする可能性がある。
「新聞には見殺しにされたのでロシア軍に投降した。おかげで治療を受けることができて助かった。本当に感謝していると書いていますが、これはロシア軍とフリー記者、A日新聞編集部の誰が嘘をついているんだろうか」「どいつもこいつも大嘘つきですからね」私の感想には空の運用幕僚が答えた。この運用幕僚は兵器管制幹部で戦闘機の墜落事故の一部始終をレーダー上で注視し、断末魔を無線で聞いてきたが、操縦不能に陥ったパイロットが最期の瞬間まで地上・海面の安全を確認していたことを説明してもマスコミは頭ごなしに操縦ミスと断定して殊更に危険性を論う(あげつらう)のを無念の歯噛みで耐えてきたそうだ。
「治療を受けてるって言ってもこれは病室ではないだろう。病室用ベッドには寝かされていない。この薄暗い照明から見て多分、倉庫だな」「ガーゼも自衛隊の応急手当て用だ。この汚れ方を見ると一度も交換されていない。つまり放置されていることになる」「ウクライナでもロシア軍は捕虜の負傷j者を放置していたから前例踏襲だよ」私の補足説明に課長以下は顔を強張らせて押し黙った。ロシア軍は1853年から1856年のオスマン・トルコ軍とのクリミア戦争で負傷者と遺骸の放置、環境劣悪な衛生施設、捕虜の虐待、文民の無差別殺傷などの人道上の問題を生起させてジュネーブ条約を制定させる動機を作っている。
「それが捕虜になって良かったと証言しているのは何故ですかね」「大戦中の日本軍は生きて虜囚の辱めを受けずの教育を受けていたから捕虜になると自暴自棄になって言われるままにベラベラと情報を漏らして反日宣伝の台詞も喋りまくったらしいですよ」「日本軍の死を恐れぬ戦闘に苦しめられていたアメリカ軍は拷問も受けないのに国を売る変節に首をひねっていたそうだ」私が記事の続きを読み始めると陸海空の運用幕僚たちは勝手に議論を始めた。私はオランダでは茶山元3佐が送ってくれる1ヶ月分の新聞と持っていった書籍以外に日本文を読む機会がなく英文に目が馴染んでいるのでかつての速読は影を潜めてしまった。
「やはり自衛隊でも捕虜になることを禁じていたんですか」「いいえ、逆にウチのトップ(=統合幕僚長)は陸幕長(りくばくちょう=陸上幕僚長)時代に生存権の行使として捕虜になることを認めました。それを受けて部隊では全隊員を対象にしたジュネーブ条約の教育を始めて捕虜の権利と義務、捕虜としての戦術を周知徹底しています」「それはウチの幕長(=航空幕僚長)が撃墜されたパイロットに敵に収容される許可を与えた方が先です」私の質問に陸と空の運用幕僚が唾を飛ばして答えた。航空自衛隊では昭和44年2月8日に小松基地のFー104J栄光が金沢市内に墜落して市民3人が死亡し、昭和46年7月30日に岩手県雫石上空で松島基地のFー86F旭光が全日空のボーイング727に追突されて乗客乗員162名が死亡した事故で脱出した自衛隊のパイロットが生き残ったことを批判されて以来、飛行不能に陥っても緊急脱出は事実上封印されていた。その呪縛を解いた石塚勲航空幕僚長の英断を思い出させる。
「つまり偽情報を流して敵を混乱させたり、怠業で手を焼かせたり、脱走で警備兵を疲労させる捕虜の責務を知っているんですね。それは心強い」「そんな隊員がこんな証言をするとは思えない。要するに・・・」「記者の作文と言うことか」「確かにテレビやネットじゃあないから本人が喋っていることを確認する手立てがない」私のジュネーブ条約の解説に近い感想に陸海空の運用幕僚が共通した推理を並べて文章にした。
「流石に上官に手榴弾を渡されたとは書いてないな。このフリー記者は平成生まれなのかも知れないぞ」「その日本軍ネタは戦後でも昭和50年までですよ」私が敗戦後のインパール作戦などの戦記物で置き去りにされる傷病兵に指揮官が自決用の手榴弾を渡す定番シーンがないことを指摘すると唯一昭和生まれの課長が反応した。
  1. 2023/05/19(金) 17:00:17|
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