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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月22日・日本で初めてビルの爆破解体が行われた。

1992年の明日5月22日に滋賀県大津市木の岡(このおか)町にあった木の岡レイクサイドビルが鉄筋コンクリート製の高層建築物=いわゆるビルディングとしては日本で初めて爆破によって解体されました。
古くから鉄筋コンクリート製の高層ビルディングを建築してきた欧米では老朽化したビルディングを機械と人力で解体するよりも安価で迅速な爆破解体が採用されていました。当初は大量の爆薬をビルディング全体にしかけて文字通り木っ端微塵に吹き飛ばす荒技が用いられていましたが大音響と地響き、巨大な建物が砕け散る迫力が人気を呼んで多くの観客が周囲に集まるようになると破片の飛散距離が予測できないため死傷者を出す事故が続発してその補償金が経費に加算される悪循環が発生しました。そこで解体を請け負う業者が研究と実験を重ねた結果、事前に壁の一部を崩して鉄筋を切断し、各階の強度を担っている床材と柱を部分的に破壊して建物の自重で内側に崩れ込む破壊方法を開発したのです。
すると建物が閃光と爆風を上げて砕け散った後には千切れなかった鉄筋が人間の骨格のように残るこれまでの方式と違い、立ち上る土煙の中でビルディングが背丈を縮めて沈んでいくような光景が妙にユーモラスで、安全性が高まったこともあってかえって見学者が増加してアメリカでは旅行社がツアーを組むほど人気のイベントになりました。当然、日本でも海外の面白映像として紹介されると怪獣映画や特撮ドラマでは定番のビルディングの破壊の実写版として評判になり、やがて三田工業やスバル・レオーネのCMに採用されると「日本でも本物を見たい」と言う声が広まっていったのです(当時はインターネットがないので口コミ)。しかし、日本では火薬の取り扱いが厳格な上、地震が多発するため建物の強度が海外とは比べ物にならず、おまけに市街地ではビルディングが密集していて爆破解体は困難でした。
そんな中、日本でも1985年のつくば科学博の国際連合平和館のワイヤーで補強した巨大なコンクリート製ドームを1986年3月に爆破解体しましたが、博覧会跡地に一般市民は立ち入ることができずニュースでも取り上げられないまま終わりました。
ところが大阪万国博覧会による集客を狙った観光・ホテルとして1968年に着工しながら資金難によって中断したまま放置されて廃墟となっていた前述の木の岡レイクサイドビルの敷地を京都の業者が買い取り、建物を解体・撤去してリゾート施設を建設する計画を発表し、解体方法として爆破解体を提案したのです。このニュースに日本での爆破解体を待ちに待っていたマニアは歓喜しましたが、県や市に解体を要求していた地元住民は毎度のごとく反対しました。さらに解体を請け負った会社には火薬類取扱保安責任者の資格を持つ従業員がおらず、社長以下が勉強会を開いて受験すると女子の事務員と男性社員の2人だけが合格して実施に漕ぎ着けたのです。その後も地元住民をオーストラリアでの爆破解体を見学させるなどの企業努力に努めましたが日本では使用できる火薬の量が崩壊させるには不十分なため下部を爆破して転倒させる方式になりました。それでも全国から押し寄せていた4万人超の見学者は本物の迫力に歓声を上げていました。
  1. 2023/05/21(日) 15:10:26|
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