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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月27日・人違いバラバラ殺人事件の犯人の死刑が執行された。

昭和34(1959)年の明日5月27日に仙台拘置所で普通の人には理解不能な凶悪事件=埼玉・人違いバラバラ殺人事件の古屋栄雄死刑囚の吊首刑が執行されました。34歳でした。
事件は昭和25(1950)年頃、古屋死刑囚が地元の山梨県塩山市内のダンスホールで当時19歳の女性と知り合ったことから始まりました。育ちの好い女性としては年長の男性に失礼な態度は取れず丁寧に応対しただけでしたが、古屋死刑囚はそれを「自分への好意」と思い込み、女性の家を訪れて結婚を前提にした交際を申し入れたのです。しかし、古屋死刑囚が窃盗で逮捕されて少年院に収監され、出所後も定職につかずに転職を繰り返している悪評は市内で知れ渡っていたため両親は「定職に就かなければ許す訳にはいかない」と遠回しに断りましたが、逆に「定職に就けば許してもらえる」と受け取り、上京して仕事を始めました。
それでも女性への想いだけでは性分が改まることはなく転職を繰り返すようになりまが、1年後の昭和28(1953)年に再び両親に結婚を申し入れたのです。当然、両親は断り、危険を察して女性を埼玉県在住の姉に預けましたが、古屋死刑囚は驚くべき執念で姉の住所を探り出して家へ押しかけました。姉は妹との面会を拒否する一方で交換条件として「改心したことを確かめる」と映画館での住み込みの仕事を斡旋して古屋死刑囚も就職して真面目に働き始めました。
それでも休日には女性の姿を求めて埼玉県内を徘徊するようになり、それに疲れた女性は埼玉県内だけでなく首都圏から静岡県内まで逃げ回り、やがて古屋死刑囚は「自分を待っている女性を探す旅に出る」と言い残して映画館を飛び出してしまいました。
そして4日後の昭和29(1954)年9月5日に埼玉県入間郡高階村=現在の川越市の暗い路上で出会った青年団の会合帰りの白いブラウスに黒のスカートをはいた19歳の被害者を体形が似ていると言うだけで襲い、手拭いで絞殺して遺骸を隠しました。古屋死刑囚は翌日の朝刊で人違いだったことを知りましたが、溜め込んでいた女性への鬱憤を晴らそうと女としての価値をなくすために両乳房と女性器を切り取り、自由を奪うため両足を切断し、全身をバラバラにした上で道端や畑、水田、肥え瓶に捨てて回ったのです。
これだけであれば執着気質の犯人の凶行として報じられることがありますが、古屋死刑囚は法廷においても犯行を重ねました。女性は浦和地方裁判所の一審に証人として出廷して古屋死刑囚との関係を全面的に否定しましたが判決は無期懲役でした。検察側が量刑不当と控訴した東京高等裁判所での2審の昭和31(1956)年8月20日の最終尋問で証言を終えた女性に被告人席から駆け寄り、胸を蝿叩きの柄を折って削った竹べらで刺して全治2週間の重傷を負わせたのです。この法廷内の傷害事件を受けて東京高等裁判所は死刑判決を下し、最高裁判所も昭和32(1957)年7月19日に上告を棄却して死刑が確定しました。
刑の執行を待つ仙台拘置所でも古屋死刑囚は被害者を弔い。反省の弁を口にすることはなく看守相手に女性の自慢話を延々と続けて辟易させていたそうです。
  1. 2023/05/26(金) 15:09:38|
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