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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月29日・アッツ島守備隊が全滅した。

昭和18(1943)年の明日5月29日にアリューシャン列島アッツ島(日本名・熱田島)の山崎保代大佐以下の日本陸軍守備隊が万歳突撃して全滅しました。
この敗戦を大本営は唐の李百薬さんの歴史書「北斉書」の「大丈夫は寧ろ玉砕すべきも瓦全すること能わず」から引用した「玉砕」の美辞で発表したため、攻撃したアメリカ陸軍のアイケルバーガー中将に「世界第一の猛闘」と言わしめた昭和18(1943)年1月2日のニューギニア・ブナの安田義達大佐の日本海軍陸戦隊と陸軍工兵隊の連合守備隊の50日間にわたる戦闘の末の全滅は無視してこちらを「初の玉砕」とする戦史の誤りが横行しています。
実際、航空自衛隊幹部学校のSOC課程に入校中、元陸軍参謀本部の瀬島龍三中佐の講話があり、野僧が「ブナの守備隊の全滅の方が半年早かったのにアッツ島を初めての玉砕としているのは何故か」と質問すると瀬島中佐は「ブナですか。ブナねェ・・・」と考え込み、幹部学校の教官たちまで「ここで教えている戦史が間違っていると言うのか」といきり立ちました。
アリューシャン列島のアッツ島とキスカ島(日本名・鳴神島)の攻略の目的は戦時中から「北部太平洋の制海権確保」や「アメリカの領土を占領する心理的圧迫」などと明確ではなく、これが戦略なき占領として無責任な方針変更を生み、陸軍のアッツ島は見捨てて海軍のキスカ島は撤退させると言う高級参謀間の裏取り引きを成立させ、キスカ島は2ヶ月後の昭和18(1943)年7月29日に無血撤退に成功しています。
アッツ島にはミッドウェイ作戦の敗戦翌日の昭和17(1942)年6月6日に穂積松年少佐が指揮する北海支隊1150名が上陸しましたが、島民は気象情報を送信する無線技士の夫婦と土着のイヌイット系アリュート族45名だけで無線技士が抵抗したため殺害した以外は戦闘もなく占領を完了しました(無線技士の妻は関東地方の収容所に収監された)。
占領後の日本軍は水上機の飛行場と陣地構築を進めましたが、1812年の米英戦争以来、初めて自国の領土を占領されたアメリカは意気消沈するどころかミッドウェイ海戦の勝利で火が点いた敵愾心を燃え上がらせて連日のように爆撃機が空襲を加え、艦隊を派遣して海上補給を妨害したため大本営はアッツ島を捨ててキスカ島に戦力を集中させることを決定し、北海支隊は構築した陣地を破壊して移動しました(現地民も北海道小樽に移送した)。
ところがアメリカ軍がキスカ島に近いアムチトカ島を占領したことから大本営はこの方面への攻撃を日本への侵攻の拠点確保と見解を転換して昭和17(1942)年10月18日に再占領を決定して10月20日に約2900人の部隊が戻りました。しかし、アメリカ軍に利用されることを防ぐため徹底的に破壊した陣地の再構築は困難を極め、すでに極寒の季節に入り凍土と化した地面を掘る土木作業は一向に進まず、昭和18(1943)年2月11日に山崎大佐が着任した1ヶ月後の3月26日にはアッツ島沖で海戦が発生して海上封鎖が完了したため空腹に耐え、凍えながら死を待つことになりました。
そうして5月12日に15000人のアメリカ軍が上陸して戦闘が始まると17日間で10分の1まで消耗していた300人の日本軍は万歳突撃で全滅して「初の玉砕」になったのです。
  1. 2023/05/28(日) 14:51:28|
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