1832年の明日5月31日は数学を思考=理解する機能が脳から欠落している野僧には言っていることの意味や偉さが全く分かりませんが「天才」であることだけは判るエヴァリスト・ガロアくんの命日です。20歳でした。
野僧は数学が必修だった高校1年と2年の6学期は高校の数学教師の叔父に中間・期末試験の1週間前から集中教育を受けていながら全て赤点、そんな試験の結果を聞くと叔父は「教師としての自信をなくす」「お前の脳には数学を理解する機能が欠落している」と断定しました。それでも社会と国語は常に100点だったので親の手前勝手な都合と命令で地元の大学の法学部に進学しましたが、卒業する気は始めからなく「どうせ中退するなら」と単位は無視して法学関係の講義ばかり選択しました。それでも法学の講義がない時間の穴埋めに数学を採ることになり、そこで聴いたのが奇天烈なガロアさんの生涯でした。
講義の冒頭で教授が力説したのが「諸君たちの多くは18歳から20歳だと思うが、ガロアは20歳で死んでいる。つまりこれから語る偉大な業績は君たちの年齢までに成し遂げたんだ」と言う前置きでした。業績の説明は全く理解できませんでしたが天才故の行動も破滅的でした。
ガロアくんは1811年にパリ郊外のブール=ラ=レーヌで後に町長になる校長の姉と弟の間の長男として生まれました。母親も学者家系の出身だったため12歳までは母親の教育を受けましたが、1823年からパリの寄宿制名門中等学校に入学しました。すると1年目は極めて優等な成績を収めたものの2年目に入ると怠惰に流れて校長から留年を命じられ、空いた時間に必修ではなかった数学の若い数学教師の幾何学の授業を受けるようになりました。
すると数学の面白さに熱狂し、高度な数学書を入手すると次々に計算問題に解答して教師を超えてしまいました。しかし、この頃のガロアくんを周囲は「数学の熱狂に支配されている」「数学の才能を開花kさせたことで過度の自尊心が目覚めてしまった」と酷評しています。
それでも数学熱は冷めることなく1828年と1829年に当時の理数系教育の最高峰だった理工学校を受験して失敗しましたが、数学は跳び級になり新任の優秀な数学教師によって才能を開花させたのです。その教師の勧めで論文「代数方程式解法」を学界に発表することになりましたが、論文を預かった数学者は中等学校の生徒の論文を真面目に扱うことなく2度も紛失し、さらに町長になっていた父親がフランス革命前夜の市民の自由を求める運動を抑圧しなかったことを修道会に糾弾されて自死したため反宗教的倫理を標榜して革命運動に参加するようになり、破滅に向かって突き進み始めました。
2度の受験の失敗で理工学校を諦めたガロアくんは師範学校に進学しましたが、ここでは革命運動に熱中して生活は乱れ、やがて国王暗殺の疑いで逮捕・投獄されて健康を害し、出獄後に女性を巡るとされる決闘でパリ近郊のジャンティーユ地区グラシエールの沼の畔で負傷し、収容された病院で死亡しました。
天才の数学的業績はフランス革命による一連の混乱終結後に数学者たちによって遺された論文が解析され、驚嘆をもって学界に紹介されましたが、野僧には全く理解できません。
- 2023/05/30(火) 14:41:28|
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