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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月3日・山口県では影が薄い?佐藤栄作首相の命日

昭和50(1975)年の明日6月3日は2020年8月24日に兄・岸信介首相の孫の安倍晋三首相に抜かれるまで2798日の首相在任最長記録を保持していながら安倍首相の記録更新を伝える山口県の地方テレビ局のアナウンサーが人物・業績を紹介するのに困るほど影が薄い佐藤栄作首相の命日です。
山口県は初代・伊藤博文首相以降、現在に至るまでの歴代政権の通算日数のうち3分の1は県出身と言う石を投げれば首相に当たる土地柄であり、最大の業績の沖縄返還は同じ山口県人=下関市出身の毎日新聞・西山太吉記者の密約の暴露で地に落ちていて(外務省の女性事務官を酔わせて犯して秘密文書を持ち出させた西山記者は英雄視されている)、ノーベル平和賞は韓国の金大中大統領のように証拠が公表されていないにも関わらず「金で買った」と言う噂が消えないため「特別な郷土出身の宰相」として評価されることがないのです。
佐藤首相は明治34(1901)年に山口県田布施町で酒造業を営む佐藤家の3人兄弟の3男として生まれました。と言っても父親は佐藤首相が生まれる2年前に県庁を退職して母親の実家の富豪・岸家が持っていた蔵元の株を譲られて転業したばかりでした。
田布施町では佐藤家の3兄弟を「頭は上から、度胸は下から」と評していて長男の佐藤市郎中将は海軍兵学校を殆ど満点で卒業し、海軍大学校も首席で修了した秀才で東京帝国大学をから農商務省に入って秀才官僚と呼ばれた二男の岸信介首相も敵わなかったようです。
一方、度胸については長男の佐藤中将は軍人でありながら押しが弱く、二男の岸首相は日米安全保障条約を改定した冷酷非情な軍国主義者と思われがちですがこれはマスコミが作った虚像で実際は孫の安倍首相に似た温和な雰囲気の人物だったようです。ところが佐藤首相は幼い頃から大人もたじろぐような威圧感があり、「政界の団十郎」と言う仇名は整った顔立ちではなく大きな目に人を圧倒する力があることを表していたそうです。このため岸首相を「純粋で目的に真っしぐらな良き山口人」、佐藤首相を「腹黒で手段を選ばない悪しき山口人」と評することもあります。実際、野僧は佐藤首相が自助努力を怠り、何事も陳情で国家を私物化する山口県人を作った元凶と見ていて、例えば東海道・山陽新幹線は各県に駅2つと言う原則が示されていたにも関わらず鉄道省の官僚出身だった佐藤首相の政治力で山口県には4つの駅があり、それでも「防府は実現しなかった」と不満を吐き続けているのです。
そんな佐藤首相の政治手法は「2枚舌」と「足して2で割る妥協」と言われ、非核三原則を国会で表明しておきながら中国の核開発に対して在日アメリカ軍による報復攻撃を要求し、兄の岸首相が日米安全保障条約の改定と引き換えに政界から引退したことを教訓に1970年の自動延長では60年反安保闘争の再現を狙う亡国勢力に対して大阪万国博覧会を開催して国民の目を反らしながら学生運動を暴力行為として取り締まることに成功しました。
佐藤首相の最期は昭和50(1975)年5月19日に築地の高級料亭で財界人と会食中に脳溢血で倒れ、病状が重篤で動かせないためそのまま料亭で15日間の昏睡状態を過ごして6月3日に亡くなりました。料亭政治家の代表らしい死に際でした。
  1. 2023/06/03(土) 16:33:23|
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